2019年11月20日水曜日

70 追跡は終わり、奴はモンスターになった

 俺たちの乗った小型船はシーマたちに曳航(えいこう)されて島の沖合へでた。
これはもともとセシリーの仇敵であったジャニスの持ち物だ。
とはいえジャニスもどこからか盗んできただけのようだけど……。
とにかく今は俺のものになっていてあちこちに改装を施してある。
船体も「修理」を使って新しくしてあるし、船内も趣味のいい家具調度を揃えて、過ごしやすい空間が整えてあった。

 風が出てきて、波の向こうに見える商業区の灯りがぼんやりと揺れている。
もうシエラたちは白蛆を見つけただろうか? 
今回はシエラとセシリーに加えてマスター・エルザやギルドの職員、腕利きの冒険者が白蛆討伐に向かっているから後れを取ることはないと思う。

「男将さん、テーブルの用意ができたっす!」

 ミーナが元気よく俺を呼びに来た。
本来は娼館の待合室で夕飯を食べようとお弁当を作ってきたのだが、白蛆騒ぎでそれもできなかった。
追跡を続けているシエラたちには悪いけど食べておかなければいざという時に力が出ない。
海の上は風が気持ちよく、陸から離れているので虫もいなくて過ごしやすい。
今晩は甲板にテーブルをセッティングして夕食を食べることにした。

「二人とも席に座って。後は俺とゴクウでやるから」

 護衛に来てくれたルージュとミーナを座らせて、カゴに詰めた食事を広げていく。
二人の他にもワンダーを2体、ゴクウを1体、ハリーを6体連れてきている。

「へんな奴が来ても私の結界魔法で近づけさせはしませんよ。胸の見せどころです」
「いや、胸じゃなくて腕だろう……」

 隠れ巨乳はわかったからさ。

「どっちも見せるから大丈夫です!」
「バカなことを言ってないで御飯にするっす!」

 やけにはしゃいでいるルージュとミーナを落ち着かせて、前菜のレッドボアと木の実のテリーヌをだした。
ボリューミーな料理だけど若い二人なら平気だろう。

「うおお、美味そうっす!」
「船の上でこんな優雅な食事をするのは初めて!」

 まあ、やっていることはディナークルーズだもんな。
ルージュもミーナも可愛いいから普段の俺なら同じようにはしゃいでいたかもしれない。
だけどセシリーたちのことが心配で食欲はなかった。

 その晩は船の上で夜を明かした。
船室は一つしかないのでルージュとミーナは甲板に毛布を敷いてその上で寝てもらうことになった。
逆でもまったく構わなかったのだけど「男をそんなところで寝かせるわけにはいかない」とのことで、俺だけがベッドで寝ることになったよ。

「男将さん、起きていますか? 男将さんのハトが来ましたよ!」

 ミーナの声に船室から飛び出した。
ずっと心配でよく眠れなかったのだ。
ポッポー3号の足には小さな手紙が括り付けてあった。

兄上へ
 三日月海岸の桟橋へ戻ってきてください。

               シエラ

 手紙は短い一文だけで詳しいことは何も書いていない。

「帰って来いってさ。他には何にも書いてないよ」
「たしかにシエラさんの字ですか?」

 ルージュが手紙を睨んでいたけど、間違いなくこれはシエラの字だ。

「とにかく慎重に戻ってみましょう」

 シーマたちに舟を引っ張らせて入り江に戻ったが、桟橋ではシエラとセシリーがいて手を振っていた。
遠くから見る限り無事なようだ。

 この船は小型船なので喫水が浅く入り江の中まで入っていくことができる。
桟橋に船を横付けにするとセシリーが俺に手を伸ばして下船を手伝ってくれた。

「ただいま。どうなった?」
「少々厄介なことになっている」

 シエラの顔はいつだって青白いけど、今日はいつもとは違う顔色の悪さだ。

「なにがあった?」
「ポッポーの案内で白蛆を追ったのだが、奴は寄りにもよってダンジョンへ逃げ込んでいたのだ」

 それはまた面倒なところへ逃げ込んだな。

「追跡するのに苦労しそうな場所だよね。でも、一人でダンジョンなんて逃げ延びられるのかな?」
「奴はそれなりに強い。水は魔法で作り出せるし、食料は探索中の冒険者から奪うことも出来るだろう。コカトリアスのような可食モンスターもいる」

 凶悪なモンスターに出会わなければ生き延びることは可能なのか……。

「ただな、やはり一人でダンジョンの奥へ行くのは不可能だろう」
「シエラでも無理?」
「ああ、私でも無理だ。一人でできることというのはたかが知れているのだよ……」

 そういうものなのかも知れないな。

「マスター・エルザは?」
「今はダンジョンの入り口で待機中だ」

 みんな一睡もしていないようだ。

「シエラもセシリーも少し休まないとね。ご飯は食べた?」
「昨日から何も口にしていない」
「だったらすぐに用意するよ」

 俺はシエラの耳元に口をよせる。

「血を用意しておくからね。お酒と混ぜて飲んでから仮眠を取るといい」
「うん。少し多めでお願い」

 血は匂いがきついから皆の前で飲むのは禁止の約束をしているのだ。
後で俺の部屋で飲ませてあげるとしよう。


 それからダンジョンはしばらく閉鎖された。
選抜隊により地下1階から3階までがくまなく捜査されたが、白蛆の姿はどこにも見つからなかった。
はたして、モンスターに食べられたのか、地下4階より下へ行ったのか……。

 選抜隊はマスター・エルザが直接指揮を執り、シエラやセシリー、ガチムチ女戦士さんたちなんかも参加していた。
本当は地下4階より下も捜索したかったようだが、それは現実的ではないと判断された。
そこから下はかなり手強いモンスターが出没し、シエラやマスター・エルザでさえソロだったらてこずる敵がわんさかと出てくるからだ。

 捜索を初めて10日間が経過し、ついにマスター・エルザは白蛆追跡の打ち切りを発表した。
それと同時にダンジョンは再び解放されて、冒険者がこれまで通り探索に励んでいる。
今のところ白蛆発見の報告はないし、白蛆に殺された形跡がみられる冒険者も発見されていない。
もちろん死者は毎日のように出ているので、それが白蛆の仕業なのか、はたまたモンスターの仕業なのかもわからない。
つまり、白蛆はダンジョンのモンスターの一体として認識されるようになった。

「狩り殺しても魔石一つでない敵だがな……」

 セシリーは最後まで悔しそうだった。
たぶん、同国人として自分の手でケリをつけたかったのだと思う。
あまり過去を話したがらないから詳しいことはわからなかったけど……。

   ♢

 俺の自室にシエラの高笑いが響いていた。

「ふはははははっ、人の刻限は終わりを告げた。これより魔性の時が始まるのだ!」
「や、やめて……」
「絶望せよ! そして抗うことなくその血を差し出すのだ。ふははははっ!」

 シエラが俺のシャツをはぎ取った。

「キャーーーー」
「我が目を見ろ、この赤き瞳を受け入れ闇に酔いしれるがよい」

 怪しく光る眼(まなこ)が俺を魅了する。
俺は力を抜いてシエラに身を委ねた。
そしてシエラは首に噛みつく……ふりをする。
首筋には俺が魔法で作り出した輸血用血液が塗ってあった。
ペロペロペロ……。

「どお? 美味しい?」
「あ、バカ、もう少し余韻を楽しませてくれ」
「ごめんごめん…………ああっ……私の血に闇が侵食する……」
「ふふふ、今宵はそなたのすべてを貰い受けるぞ」

 俺とシエラはヴァンパイアごっこの真最中だ。
10日間も白蛆探索を頑張った慰労でシエラのリクエストを聞いてあげているわけだ。
最初はどうかと思ったけど、やりだしたら俺も楽しくなってきた。
だけど、ペロペロされると変な気持ちになっちゃうな。
この後はセシリーとマスター・エルザのマッサージも控えている。
マスターはともかくセシリーにマッサージをしてあげるのは楽しみだ。
久しぶりに超ド級のお胸様が拝めるんだもん。
マッサージオイルをだしてシロースペシャルにしてあげようっと!

69 白蛆

 シエラの風魔法で毒の粉を海側へ流して拡散させた。
やがてマスター・エルザが治癒士を伴って駆けつけてくるとセシリーだけじゃなくシエラも治療を受けていた。
普段と変わらない様子だったから、てっきりシエラはダメージを受けていないと思っていたけどそんなことはなかったのだ。

「大丈夫? 痛いところはない?」
「ヴァンパイアに毒は効きにくい」

 強がっていたけどダメージはあったのだろう。
普段のシエラならあそこでポルタを逃がさない。

「ポッポーは奴を追っているのだな?」
「うん、そのうち連絡が来ると思う」

 ポルタがどこかに潜伏したら戻ってくるはずだ。

 シエラの治療はすぐに終わったけど、セシリーの方は倍以上の時間がかかっていた。
初めの内は顔色も悪く、苦しそうに胸を押さえていたけど、治癒魔法のおかげで症状も改善してきたようだ。
頃合いを見計らってマスター・エルザがセシリーの近くに寄ってきた。

「災難だったね。どうだい、喋るくらいはできるかい?」
「ああ、問題ない」
「それにしても白蛆(しろうじ)とはね……本当なのか?」
「戦闘の途中で奴の服が破れて左腕のタトゥーが見えた。あれは旧ルウェイ王国の鉄羊兵団のタトゥーだ」
「証拠はそれだけ?」

 質問するマスター・エルザの表情は淡々としている。

「白蛆のタトゥーのことはアンタも知っているのだろう? 鉄羊兵団(てつようへいだん)はルルゴア帝国との戦争で壊滅している。あのタトゥーをしている人間はほとんど生き残っちゃいないさ……」
「あんた、ルウェイ王国の生き残りかい?」

 セシリーはマスター・エルザから視線を外して、過去を見遣るようにぼんやりと遠くを見た。

「昔の話さ。それに白蛆に直接会ったこともない。ただ、聞いていた特徴に完全に合致するんだよ。髪の色や毒を使うなんてところもね」
「うん……」

 マスター・エルザは腕を組んで考え込んでしまった。

 俺はずっと気になっていたことをセシリーに聞いてみる。

「白蛆ってなんなの?」
「白蛆は奴の見た目からついたあだ名さ」

そういえば蝋みたいな肌をしていたな。

「シローは奴の話を聞いたことがないのかい?」

 俺は異世界人だもん……。

「昔、ルウェイ王国という国があったんだ。4年前に帝国に併呑されてしまったけどね……。白蛆はその国の鉄羊兵団という部隊に所属していた兵士だったのさ」

 セシリーはぽつりぽつりと昔のことを話してくれた。

 鉄羊兵団は帝国との戦争末期に人員不足を補うために創設された、犯罪者で構成された部隊だったそうだ。
当然のごとく白蛆も犯罪者だった。

「あいつの犯罪歴は両親を惨殺したところから始まっている」

 幼い頃から父親に虐待を受けたとか、富裕な薬局の娘だったとかの噂はいろいろあったが詳しいことはセシリーにもわからない。
ただ、その所業はあまりにも有名だった。

「元は海賊だったアタシが言うのもなんだけどね、とんでもない女なのさ。奴は自分の親を皮切りに捕まるまでの1年の間に128人の人間を殺している」

 平均すると三日に一人は殺していたのか……。
こんな計算に意味はないけど考えてしまうんだよな。

「この数字だって奴が憶えていて自白した分だけだ。実際はもっと多かったのだと推測されている」
「でも、白蛆は結局捕まったんだよね?」
「ああ、当時は白蛆専門の捕縛チームが作られたくらいだった。アタシがまだ士官学校にいた頃のはな……いや、この話はいい。とにかく白蛆だ」

 自分のことはあまり語りたくないようだ。
セシリーは話を続けた。

「腕利きたちが集められて何とか白蛆を捕縛することはできた。取り調べも済んで公開処刑されることも決まっていたのだが、その前に戦争が起こってしまった」

 元から白蛆を鉄羊兵団に編入する予定があったわけではないのだが、様々な事情が重なって処刑は延期された。
白蛆は独房の中で生き永らえ、紆余曲折(うよきょくせつ)を経て処刑の代わりに最前線へ送られることが決定したそうだ。

「お国も滅茶苦茶だったのさ。新たに帝国兵を500人殺せばそれまでの罪を許そうってんだからね。まあ、お偉方は口約束のつもりだっただろうし、白蛆は激戦の中で死んでいくだろうと考えていたのだとは思う」

 だが、白蛆は戦争を生き延びた。
生き延びただけでなく戦後のどさくさに紛れて姿を消してしまったのだ。

「あれから四年経ったがまだ生きていたんだね……」

 白蛆はいろいろな国を渡り歩いていたらしく、様々な国で指名手配されているそうだ。

「とにかくやばいやつなんだよ……」

 大きなため息とともにセシリーは言葉を切った。
それと同時に治癒魔法も終わる。

 マスター・エルザは頭をボリボリかいて、苛立ちを隠そうともしなかった。

「まったく厄介なことになったね。ポルタが誰であれヴァンパイアの嬢ちゃんがてこずるほどの手練れってんだろう? そこいらの冒険者じゃ敵いっこないじゃないか」

 シエラとセシリーが二人掛かりで捕らえられなかったのだ。
ポルタはかなり手強い。

「追跡部隊を組織しなけりゃならんだろうけど、生半可な者を充てる訳にはいかないからねぇ……」

 マスターはシエラを見つめた。

「面倒ごとはごめんだぞ。今日は兄上を護衛していたから奴と戦っただけだ」
「その大事なお兄様を白蛆が狙ってきたらどうするんだい? あいつは狂っているんだ。しかもどういうわけか男ばかりをつけ狙う。この島にいる限り男将はいつだって見張られているかもしれないんだよ?」

 マスターも怖いことを言うな。
いくら俺が見せたがりの見られたがりでも、殺人鬼に覗かれるのは趣味じゃない。

バサバサバサッ

 闇の中から何かが飛び出てきたと思ったらポッポー2号だった。
びっくりしすぎてオシッコを漏らしそうになったじゃないか! 
すぐ近くにトイレはあるけど、あそこは殺人事件の現場となった場所だからあんまり近寄りたくないのだ。
まだ大丈夫だけど、そろそろ我慢が限界に近づきつつある。
あとでシエラにこっそりついてきてもらうことにしよう……。

 白蛆を追わせていたのは1号だけど、ゴーレム同士はある程度のコミュニケーションが取れる。
ひょっとしたら1号に頼まれてここへ来たのかもしれない。

「2号、もしかして1号に頼まれたの?」

 ポッポーは自分についてこいと言わんばかりに地面の上で跳ねだした。

「白蛆の潜伏先が分かったみたい」

 一同の間に緊張が走った。

「これはギルドからの正式な依頼だ。シエラ、セシリー、アンタたちについてきてほしい」

 生けるレジェンドでもあるマスター・エルザでさえ単独で乗り込むことに躊躇しているようだ。
ギルドの職員もいるけど、この二人ほどの技量はない。

「いいだろう、これも兄上のためだ」
「私も行くぞ。ケリをつけてやる」

 この三人が揃っていれば安心な気もするけど、俺はどうしよう。
シエラたちと別行動している間に白蛆が襲ってきたら……。

「男将さんは自分が守るっす」

 ミーナの気持ちは嬉しいけど、ちょっと心許ないんだよね……。
俺の不安を察したのかセシリーがシエラと相談を始めた。

「シローはどうする? ルージュとゴーレムが護衛についたとしても……」
「あいつが相手では少々不安が残るな」

 結局、俺はミーナやルージュに守られて小型船で沖合に避難することになった。

68 毒の館

 マダム・ダマスの言葉にびっくりしてしまったが、すぐに言いたいことは理解できた。

「つまり、ゴーレムに男の子たちを守らせたいと?」
「その通りです」

 客を取った男娼の部屋に見張りを置くわけにはいかないが、ゴーレムだったら置物と思えば問題ないということか。

「だけど、私にも仕事があるので……」
「そこを何とか、休業の間は私の方で損失は補填いたしますので……」

 バーコードを震わすロイドさんを見ていたので協力してあげたい気持ちはある。
男をつけ狙う殺人犯に自分が狙われたらと思うと、俺としても気色が悪い。
犯人が捕まるまで、せめて男娼たちが落ち着くまでという言葉に説得され用心棒を引き受けることになってしまった。

 幸い宿の方に連泊のお客さんはいない。
今晩泊まりたいという人はいるだろうけど、そういう人にはギルドの宿へ行ってもらうしかないだろう。
食事の方も臨時休業だな。
毎晩来てくれるガチムチ戦士のお姉さんたちには悪いけど、今夜は我慢してもらうしかない。
店を再開したら大好きなレバーペーストカナッペを食べさせてあげるとしよう。

 警護しなければならない男の人は全部で六人いた。
それぞれワンダーとハリーを一体ずつ付けることにしたけど、そうすると俺の護衛が少なくなってしまう。
ちょっぴりだけ不安がっていたらシエラに加えてセシリーとルージュ、ミーナまでもが護衛してくれることになった。

 俺たちは男娼たちが客を待つ待機部屋の隅に陣取った。
ワンダーやハリーには警護対象を守るようによく命令してある。
夕方になってダンジョンから冒険者たちが戻ってくると、商業区は嘘のようにざわざわとした活気に溢れだした。
普段なら自分の仕事が忙しくなる時間だ。
夕方以降に商業区にいるのは初めてのことだった。

「こうしてみるとこの島にも随分と人がいるんだねぇ」

 窓から見える往来には人々が溢れ、食べ物や酒を売る露店まで出ている。
珍しさに街を眺めていたら顔見知りの冒険者に声をかけられてしまった。

「ええっ!? 男将さん、もしかしてお客をとってるの!?」
「違います。今日はたまたま用事でここにいるだけです」
「なんだよ~、もしそうなら借金してでも上がったのに……」

 変な誤解を生むといけないから奥の方へ引っ込んでおこう。

 この娼館で男を買うにはそれなりの料金がかかる。
人によって金額は変わってくるけどだいたい3万レーメンから4万レーメンの間だ。
これは島料金であり帝都ルルサンジオンでこの値段なら高級娼夫を買うこともできるそうだ。
ボッタクリもいいところなのだが、この世界の女たちの性欲は強く、連日客は切れないそうだ。

「そうはいってもね、私らの手に残るのはわずかな金さ。一人お客をとっても私の手取りなんか3000レーメンだよ。残りは全部マダム・ダマスのところへいっちまうのさ」

 ロイドさんはそう言ってため息をついた。
でも、これでロイドさんはましな方なのだそうだ。
借金のある人は無給で働かなくてはならなかったから。

「クライブ兄さん、ご指名です」

 娼館の下女がクライブさんを呼びに来た。
一番人気の男娼だけあってさっそく指名がついたようだ。

「はぁ……乗り気がしないなぁ。相手は?」
「ポルタという冒険者です」
「ああ、あの暗い人か。あの人、苦手なんだよね」

 クライブさんは物憂げな表情でタバコをくゆらせている。

「兄さん、お早く」
「これだけ吸わせてよ。島じゃタバコも貴重なんだから」

 クライブさんはさも行きたくなさそうな感じで煙を吹きだした。
ため息をついただけかもしれない。

「あいつ変わってるんだよ。死んだオジーに聞いたんだけどね、ポルタの奴は魔法を使わずにオジーのアソコをたたせようとしたんだって」
「なんでわざわざ?」
「さあ? 結構いるんだよ、自分のテクニックを見せつけようとしてそういうことする奴。まあ、大抵はたたないんだけどさ。結局オジーの時もたたないまま時間が来ちゃって、交わることはなかったんだって」

 クライブさんの話を聞いてロイドさんが青い顔になった。

「ちょっと……トビーもポルタの指名を受けてなかった? オジーの時と同じで魔法をつかわなくて……最後までできないまま時間がきたって言ってた……」
「もしかしてトビーさんっていうのは?」
「そう! 殺されたトビー!」

 今度はクライブさんが青くなる番だった。

「ヤダ……私、いきたくない!」

 確かにポルタという女は被害者たちにとって共通の接点がある。
クライブさんはもともと本番なしの男娼だ。
そのおかげで殺されなかったのかもしれない。

「どれ、少し私が見てこよう」

 シエラが音もなく立ち上がった。

「俺も行くよ」

 シエラの耳に口を寄せて囁く。

「いざとなったら俺が「修理」で武装を解除する」
「そのようなことをしなくても大丈夫だ」
「ここで暴れられたら、他の人に危害が及ぶかもしれないだろう?」
「ふむ……わかった。だが、シローは少し離れたところにいてくれ」
「うん」

 娼館に来た客はロビーで受付を済ませると、すぐ横にある待合室で男娼が迎えに来るのを待つのがここのシステムだ。
待ち時間には酒が供され、タバコなども用意されている。
開店したばかりで他には客はなく、待合室では一人の女が前かがみになってソファーに座っていた。
これがポルタか。

 真っ白な蝋で出来たような肌をした女だった。
目つきはどんよりとしていて宙の一点を見つめたまま身じろぎもしない。
ポルタの前には酒のグラスもなく、たばこの煙も漂っていないところをみるとサービスを拒否して男の登場を静かに待っているようだった。

 シエラは俺に戸口のところで待つように言って、無造作にポルタへと近づいていった。
俺はいつでも消せるようにとポルタの武器を探したが、彼女は丸腰だった。
それもそのはずで娼館では受付に武器を預けるのが基本ルールだそうだ。
もっともこの世界の女たちは魔法が使えるのであまり役に立つルールでもなさそうだが……。

 スタスタと歩いてきたシエラにポルタは顔を上げた。
その顔を見ながらシエラはクンクンと鼻をうごめかす。

「お前、血の匂いがするな……」

 シエラはただそう言っただけだった。
一拍の間があっていきなり宙返りをしながらポルタがシエラを蹴り上げてきた。
シエラは体を反らして攻撃を避け、ポルタはソファーの後ろに降り立った。

「馬脚を露したか。§ΔΓ§¶Γ……」

 シエラはポルタを捕らえるべく詠唱を始めたが、ポルタの動きは思いのほか速かった。
どこからか取り出した革袋から緑色の粉がシエラに向かって投げつけられる。
おそらく毒なのだろう。
シエラは呼吸を止めるしかなく詠唱は中断された。

 口と鼻を袖で覆いながら避けるシエラに向かって、ポルタが隠し持っていたナイフを突き出す。
しかしそれを避けたシエラのカウンターパンチがポルタの顔面を捉えた。
脳震盪をおこし朦朧となっているポルタの姿に、俺はシエラの勝利を確信した。
だが……。

「おぇぇぇええええ……」
「シエラ!」

 毒にやられたのか!?

「気持ちわるい……生肉の破壊される感触……」

 そう、シエラは肉や皮が破壊される感触が生理的に苦手なのだ。
いくらシエラが強くても、攻撃は基本的に魔法しか使えない。
ふらつくシエラに容赦なくポルタが襲い掛かった。

ガキーン‼

 シエラを狙ったナイフはセシリーの剣に跳ね返された。
だが、すぐに身を翻したポルタの蹴りでセシリーは吹き飛ばされてしまう。
おいおい、ひょっとしてシエラやセシリーと対等以上に渡り合っていない? 
こいつ、やばい奴だ……。
恐怖が足元から上ってくるような感じがして一歩も動けなくなっていた。

「男将さん、下がって!」

 誰かに襟を引っ張られたと思ったらミーナだった。
俺の目の前に割り込んできたルージュが結界を展開している。
娼館のロビーでは三人が入り乱れての激しい戦闘になっていた。
やがて不利を悟ったのかポルタが再び大量の粉を撒いた。
シエラとセシリーはそれをかわして距離を開けたが、その隙にポルタは入り口から飛び出していった。

「シロー、ポッポーに追わせろ!」

 シエラが叫び、俺は肩にいたポッポーを放つ。
上空からなら気が付かれずに追跡できるかもしれない。
ロビーには毒の粉が充満していたけどゴーレムであるポッポーには関係なかった。

「ゴホッ! ゴホッ!」

 セシリーが嫌な咳をしている。

「セシリー、大丈夫なの?」
「問題ない。少し吸っただけだ」

 俺のいる場所はルージュの結界のおかげで毒は来ていないようだ。

「シロー、ルージュの結界の中にいろよ。ミーナ、窓からでて治癒士とマスター・エルザを呼んできてくれ」
「わかったっす!」
「それから……」

 セシリーは苦しそうに胸を押さえつけながら付け足した。

「マスターにあったら伝えてくれ。犯人はおそらく……白蛆(しろうじ)だ」

67 マダムの依頼

 岩屋の奥にある自室で起床時間を報せるアラームが響いた。
それと同時に魔導ランプの灯りが大きくなり部屋の中が明るく照らされる。
俺の部屋には窓がないので、タイマー式のランプを置いているのだ。
これも創造魔法の魔道具作製で作ったアイテムだった。

 思いっきり伸びをして目を開けると、すぐ横で寝ていたシエラと目が合った。
シーツの上に広がる銀の髪、その中に小さな顔があり、赤い目が真っ直ぐ俺を見つめている。
開いたパジャマの襟元から真っ白い肌に覆われた鎖骨が見えていた。
手を伸ばせば届く髪の毛に触れてみたかったけど、今朝はなんだか気後れしてできない。
兄妹ゴッコの時に何度となく触れてきた髪なのに。

「どうした?」

 おはようの挨拶もせずにシエラは俺に問いかけてきた。
それくらい今朝の俺はまごついていたのかもしれない。

「シエラってやっぱり可愛いよな」
「知っておる」

 別に自慢してこう言っているのではない。
シエラは自分の姿をあるがままに受け入れているだけみたいだ。
寝不足で頭がぼんやりしていたけど、次第に意識がはっきりとしてきた。
そうだ、昨晩は殺人事件が起きたから念のためにシエラがここで寝てくれたんだ。

 でも、どうしてシエラはそこまでしてくれるんだろう? 
俺たちは恋人同士じゃない。
兄妹というていで宿屋をやっているけど、実際はただの友人だ。

「シエラはどうして俺と一緒にいてくれるの?」

 突然の質問にシエラも困ったような表情になった。

「それは……やっぱりお兄様でいてくれるから……かな?」

 シエラの性癖を理解して、その上で付き合ってやれる男はあまりいないのだろう。
たとえいたとしても容姿・性格・知性など様々な条件が必要になるそうだ。

「シローの場合、性格は申し分ない。知性もギリギリで及第点だ。容姿は……」
「なんだよ?」
「まあ、70点といったところかの。私はあまり見た目にはこだわらぬゆえ問題はない」

 厳しいな! 
まあ、顔は大した点数じゃないのは元の世界でも、この世界でも同じだ。
そのかわり体つきと雰囲気がエロいらしい。

「なあ……シエラは俺の友だちだろう?」
「今朝のシローはやけに恥ずかしいことを聞くのだな」

 そうなんだけどさ……。
俺はシエラのことを友人だと思っている。
だけどついつい性の対象として見ていることも事実だ。
シエラは俺のために護衛までしてくれたと言うのにそのことが後ろめたかった。

「恥ずかしいのは自覚しているよ。たださぁ……シエラって俺に欲情することある?」
「うん? かなりの高頻度だ。シローはエロイ」

 それを聞いて肩の力が抜けた。

「そっか、俺だけじゃなかったんだ」
「そんなことを気にしていたのか?」
「だってさぁ、友人なのに性の対象っておかしくない?」
「さあ? いい男がいれば食指は動く。たとえそれが友人であってもだ。そういうものではないのか? 問題はそれを実行に移すか否かだ」
「シエラは俺に対して実行に移そうとは思わない?」
「なんだ、私を口説いているのか?」

 茶化すように聞いてきたけど、俺はけっこう真剣だった。
シエラと肉体関係を持ちたかったからじゃない。
まったくその逆だったからだ。
もしもシエラが俺との関係を望んでいるのなら、俺たちはもう少し距離を置くべきだと思った。

 シエラは性癖として兄が好きなのだ。
ごっこ遊びの間なら付き合えるけど、実際は俺なんかよりシエラの方がずっと成熟した大人の女だ。
それはしばらく一緒に暮らして言葉を交わすうちに理解できた。
シエラと付き合っても、彼女と対等な関係は望めないと思った。
きっと俺は支配される。
そもそもヴァンパイアであるシエラと交わるには眷属にされなくてはならない。
そんな関係は耐えられそうにないと感じた。

 俺の雰囲気を読み取ったのかシエラも少し態度を改めた。

「ん~、シローが他の女と寝たら嫉妬はすると思う。だけどそれは兄を取られた妹の気持ちに近いのじゃ。理解できるか?」
「ごめん、よくわからない」

 むしろ、おもちゃを取られた子供の気持ちじゃないのか?

「わからないだろうのぉ……。それにシローは私が怖いのだろう?」
「うん……多分、俺はシエラの思い通りの男になっちゃうと思う」
「やっぱり知性は及第点だったようじゃ。だがのぉ、一切を相手に委ねるという快楽もあるのだぞ」

 だからそれが怖いのだ。

「俺の本能がやめとけって言ってる」
「そうか」

 シエラは実に愉快そうに笑った。

「安心いたせ。シローをどうこうする気はない。大切な友だからな! それで……」
「それで?」
「辛そうな友のために一肌脱ごうと思うのだがどうする?」

 朝だ! 
元気だ! 
リトルジョー! 
シエラは人差し指でそれを指して赤く長い舌で唇の端を舐めた。

「安心いたせ、あくまでも友としてだ」

 い、いや……そこで身を委ねたら二度と戻ってこられない気がする。

「………………断る」
「ほーほっほっほっ! 残念なことじゃ、私も友として慰めてもらおうと思ったのだがな」

 シエラは笑いながら部屋を出ていった。
思えば昨晩からずっとモンモンしっぱなしだ。
今朝の身繕いはいつもより時間がかかりそうだな……。

 宿泊客の朝食を作りながらフィナンシェやマドレーヌなどの焼き菓子を焼いた。

「甘い匂いがするな。今日のおやつか?」

 匂いを嗅ぎつけたシエラが調理場までやってくる。

「うん、シエラの分もあるけど、これは男の人たちに差し入れ」

 仲間の男娼が殺されて不安になっているだろうし、詳しい話も聞いてみたかったのでプレゼントを持って訪ねてみることにしたのだ。
あまり接点のない人たちだけど、まったく交流がないわけじゃない。
彼らを買った客と一緒にウチの店にご飯を食べに来た人もいたのだ。

「ならば一緒にいこう」
「昼間だし、護衛はワンダーとハリーだけでいいよ」

 同性だけの方が彼らも話しやすいかもしれない、そう考えてシエラの同行は断った。


 娼館は商業区の外れにあった。
男娼たちが起きるのは昼過ぎであると聞いていたので、お昼ご飯を食べてから出かけた。
俺が着いたときは1時を越えていたけど、彼らはちょうど昼ご飯を食べている最中だった。
果物やパン、塩漬け肉と野菜のスープなどで内容は悪くない。

「客もガリガリの男を抱くのはイヤだろうからさ、食事は保証されているのさ」

 一番年長でバーコード禿げのロイドさんが教えてくれた。
相変わらず、メタボ気味の体型に真っ赤なシャツが痛々しい。
三度の食事はきちんとしていてもお菓子が口に入ることは滅多にないそうで、持参した焼き菓子にみんなはキャーキャー言って喜んでいた。

「お客だって甘いものの一つも持ってきてくれりゃ、私たちのサービスもちったぁよくなるっていうのにね」
「ほんとだよ。アイツらときたら自分の股ぐらを舐めさせることしか考えてないのさ」

 焼き菓子を頬張りながら男たちの会話は弾んでいる……。

「それにしても怖い事件でしたね」
「そうなんだよ、ちなみに自分が第一発見者なんだけどね」

 そういったのはクライブさん。
年齢は俺と同じくらいだと思う。
島に来た男娼の中では一番の美形で通っている。
ここではクライブさんとロイドさんが人気の双璧を成しているそうだ。
クライブさんはともかくロイドさんが売れっ子なのは意外だった。
でも、聞いた限りだとロイドさんは笑顔を絶やさず、大抵のリクエストを受け入れ、情も細やかなのだそうだ。
ぶっちゃけてしまうと、顔や体型、年齢は劣るけどサービス内容が濃いらしい。
しかも包み込むような包容力がザラついた冒険者の心を癒しているそうだ。
一方のクライブさんは若くて美形だけど、本番はなしで手と口だけのサービスを提供していると言ってた。

「それじゃあ、クライブさんは死体を見たんですか?」
「ああ! おかげで夢にまで見る始末だよ。死体はトイレの中に転がっていたんだけどね、全身血まみれだった。後で聞いたら何か所もナイフで刺されていたんだって」

 傷跡は複数あり、死んだ後も執拗に刺されたらしい。

「あれは男に恨みのある女の犯行だね。そうに決まってるよ!」

 南国なのに背筋が凍るような思いがする。

「犯人の目星はついたんですか?」
「私たちは何にも聞いてないんだ。おーこわっ!」

 震えるロイドさんの前髪が一房落ちて、広いおでこにペタリとくっついていた。


 表に出てチラリと犯行現場のトイレを見たけど、もう普通に使用されているようだ。
異世界では証拠確保のための黄色い規制線が張られることもない。
血の染みはスライムがあらかた嘗め尽くし、今朝の掃除で綺麗に洗い流されていた。

 男娼たちも外出時は固まって出かけたり、娼館の女衆についてきてもらうなどして対策を立てているみたいだけど、もしも客が犯人だったら防ぎようがないだろう。
さすがにアレの最中に誰かにいてもらうことはできない。
オプションでそういうサービスもあるみたいだけど……。

 稼ぎに余裕のあるクライブさんはしばらく休業すると言っていた。
この人はお金に困ってここに来たのではなく、帝都で客(ナジミ)の夫(貴族)ともめて一時避難的に島にやってきたそうだから懐には余裕がある。
だけど生活に困っている人たちはそうもいかない。
目の前で腰を押し付けてくる客を殺人犯かと疑いながら、体を委ねるしかないのだ。

 遣り切れない気持ちで歩き出すと、商業区のドンであるマダム・ダマスが俺に向かって丁寧に頭を下げていた。

「こんにちはマダム・ダマス」
「ちょうど良いところでお会いできました。今、男将さんを呼びに人を遣ろうとしていたところなんです」

 マダム・ダマスが俺に用とは珍しい。
仕出し料理を頼みたいとかか?

「どうかされましたか?」
「実は特にお願いしたいことがございまして」
「はあ……」
「男将さんにウチの子たちの用心棒をしていただきたいのですよ……」
「……え?」
「ですから用心棒を」

 ヘタレの俺に何を頼むんだろうね。
普通に喧嘩したとしてロイドさんやクライブさんにだって勝てる気がしないのに。

66 あと五分あれば……

 それまでガヤガヤと女四人で喋っていたのに、サバサンドを持って入っていくとみんなは一様に黙りこくってしまった。

「どうしたの?」
「こ奴らが猥談をしていただけだ、気にするな」

 シエラの言葉に納得してしまう。
俺だって学生時代に交わしたようなボーイズトークを女子の前では披露できないもんな。

「わ、私はそんなことはしていない!」

 生真面目なセシリーが席を立ちあがったけど、俺はそれを手で制した。

「わかってるって。とにかく冷める前に食べてしまおうよ」

 ゴクウたちが皿を並べ、冷やしたトロピカルティーをグラスに注いでいった。
パイナップルをベースとして、この島でとれる果物で作ったフルーツティーだ。
とてもいい香りがして飲みやすい。
茶葉はマダム・ダマスの店で購入してきているので、ここではちょっとした高級品でもあった。

 食事中には卑猥な話もでず、みんながお行儀よくサンドイッチを食べていた。

「それで、セシリーは今後どうするつもりなの?」
「もちろんダンジョンで稼ぐつもりだ。ルージュはこう見えて結界魔法の使い手だしな」

 セシリーが攻撃を担当、ルージュが防御を担当するわけか。

「結界魔法だけじゃありません。こう見えて双剣の腕前と胸の大きさには自信があるのです!」

 あーはいはい。
そういえばルージュは腰の両側に70センチくらいの剣を佩(は)いている。

「ふーん、剣も使えるんだ」
「こう見えて攻めるのも得意なのですよぉ」

 言い方が一々いやらしい。
顔つきも一見地味なのに目が爛々とぎらついていた。

「こんな女だが腕前は確かなんだ」

 セシリーが言うのだから相当なものなのだろう。

「二人はどこで知り合ったの?」
「たまたま同じ駅馬車に乗り合わせましてね」

 その馬車が四十人の野盗に襲われたそうだが、たった二人でこれを撃退したそうだ。

「まあ、それがきっかけで意気投合してこの島へ来たというわけです」

 性格は全然違うみたいだけど二人はウマが合ったようだ。

「あの……」

 モクモクとサバサンドをかじっていたミーナが遠慮がちに手を上げていた。

「どうしたの?」
「その……よろしかったら私をセシリーさんたちのチームに加えてもらえませんか?」

 俺からもお願いしてあげたいけど、ここは黙って成り行きを見守るしかない。
ダンジョン内は死と隣り合わせの世界だ。
部外者にどうこう言う資格はなかった。

「ミーナと言ったね、アンタは何ができる?」

 セシリーはいつもの鋭い視線でミーナを眺めた。

「トラップ外しが得意っす。武器は短弓と短槍を使います。魔法は水魔法と風魔法を少し」

 水魔法が使えるのは大きなメリットだ。
攻撃に関してだけではなく、飲料水を減らせるので持ち込む荷物が大幅に軽くなる。

「あと、自分はもう一カ月以上ここのダンジョンに入っているので案内もできるはずです」
「さて、……どうする?」

 セシリーはルージュに意見を求めた。

「とりあえず一緒に潜ってみればいいと思う。それで様子を見ましょうよ」
「うん、そうだな」
「よろしくお願いするっす!」

 こうしてミーナは新しい仲間を見つけられた。

 その夜は仕事が終わってからも体が火照っていて、なんだか眠れなかった。
ようするにムラムラしていたのだ。
そもそもルージュとシエラが××だの××××だの言ったのが悪い。
二人の会話が耳に残って俺の煩悩をいつまでも刺激してくるのだ。

 ルージュに責任を取ってもらいたいところだけど、それをやったらアイツに負けた気がするし、信頼のおけない相手とは一緒に寝ないと啖呵を切ったばかりだ。
数時間もたたずに前言を撤回するのは恥ずかしすぎる。
だからといってセシリーを口説くのもなしだ。
生真面目な彼女のことだから一晩限りの関係なんて思いつきもしないんじゃないかな? 
今度も結婚の二文字が飛び出てきそうで怖い。
残るはシエラだけど、やっぱりシエラとはそういう関係になりたくないんだよな。
なんでだろ? 
それに俺が口説いたとしてもシエラには断られそうな気もする。

 やっぱり自分で慰めるしかないか……。
ここにあるおかずは調査隊の士官たちが残していったエロ小説とクリス様やグラム様と過ごした記憶だけだ。
新鮮味はないけど実用には十分足りる……。

「ワンダーたちは入り口をしっかり見張っていなさい」

 たとえ相手がゴーレムでも見られているとやりにくい。
戸締りを確認してから服を脱いだ。
すでにマイサンは半分臨戦態勢だ。
箪笥の奥に隠した小説から、今夜の友をチョイスした。
今夜は貴族の女当主がメイドの少年に嬲られるお話に決定! 
よし、準備は整った。
今こそあの空へ向かってフライアウェイ! 
ダイブ トゥ ベッドで自主練が始まる。
オ~イエッ! 
……………………。

コンコン

 アテンションプリ~ズとばかりに響く無情のノックに俺は空から連れ戻された。
無様を晒して現実世界に胴体着陸する。

「は、はい?」

 ドアは開かずにそのまま対応した。

「シロー、私だ」

 シエラがどうして? 
まさか一緒にフライアウェイ?

「な、なに?」
「マスター・エルザが来ている。大至急話があるそうだ」
「わかった。着替えるから居間の方で待っていてもらって」

 あと五分あれば……。
ああ幻の打ち上げ花火、賢者になり切れぬまま俺はズボンを履く。
いっそスッキリしてから行こうかと思ったけど、マスター・エルザの顔がちらついてリトルジョーはモアリトルだった。


 居間の長テーブルを挟んでマスター・エルザとシエラは向かい合って座っていた。
どちらの顔色もかなり悪い。
この島で最も強い二人がどうしたというのだ?

「何かありましたか?」

 マスター・エルザは苦虫を噛み潰したような顔で口を開く。

「殺人事件だ」

 ここでは人が死ぬことは珍しいことではない。
毎日のように何人かがダンジョンで命を落としている。
だけど、人間による人間の殺害、それもダンジョン内部ではなく地上においてとなると初めてのことだった。

「男娼二人が殺されている。どちらもついさっき発見された」

 殺害現場は売春宿の外に設置されたトイレの中だったそうだ。

「どうも男ばかりを狙っての犯行のようだ。他の男娼たちには今夜は客を取らないように伝えてあるが、男将にも知らせておこうと思ってやってきた」
「わざわざありがとうございます」
「うん。ここにはゴーレムや用心棒もいるが、気をつけて」

 マスター・エルザを見送りながら背中に冷たい汗が流れた。

「シエラ……」
「どうした?」
「トイレについてきて」

 だって怖いんだもん! 
ワンダーとハリーだけじゃ不安だよ。

「ん、いっしょに行ってやる」

 その夜は結局シエラが一緒に寝てくれることになった。

「私が横にいる故、安心して眠るがよい」

 かえって眠れないんですけど……。
さっきは最後までできなかったし……。

「どうした?」
「なんでもない」

 一生懸命眠ろうとするんだけど、目を閉じればシエラの髪の匂いが鼻から入ってくるし、目を開ければ小さな顔がすぐ目の前にある。
せめてあの時、あと五分あれば……。
眠れないままに「あと五分」の考えが浮かんでは消えていった。

65 サバサンド

 求婚のために膝をついているセシリーの前を、ニョロが三匹通り過ぎて行った。
きっと、畑に水やりをしに行ったな……。
ちょっと間抜けな絵面だ。
微妙な空気が岩屋の前を包んでいた。

「セシリー、気持ちは嬉しいんだけど結婚なんて考えられないよ」
「でも、私にはそれしか……」

 カルチャーギャップなのかな? 
男の幸せは結婚と幸福な家庭にあるというのがこの世界のスタンダードな考え方なのかもしれない。
日本にもそういう人は結構いた。

「俺さあ、結婚願望とかあんまりないんだよね。するにしたって30過ぎてからでいいと思っているし」

 セシリーは驚いたように俺の顔を見上げる。

「わ、私ではシローに釣り合わないかもしれないけど……」

 やっぱり根本的な考え方が違うようだ。

「セシリーのことをどうこう言っているわけじゃないんだよ。セシリーは美人でスタイルもよくて真面目でいい女だと思うよ。結婚したら妻としての役割をきっちりと果たすタイプだとも思う」

 一緒に暮らした期間は短かったけど、治療の際に裸も見ているし、真面目な性格であることも覚えている。
あ、思い出したら少しオッキしてきた……。

「だけどさぁ、他の男の人は知らないけど、俺にとっては結婚がゴールってわけじゃないんだよ。それにレイプされたことによって自分自身の価値が下がったとも思わないし」
「それは……」

 俺のあけすけな態度にセシリーは言葉を飲み込んでしまった。

「セシリーがどう思っているか知らないけど、俺は童貞じゃないよ。セックス大好きだし、それなりに経験もある」

 クリス様やグラム様を相手にする時は7回/ワンナイトがデフォだったもんな……。
いや、4回/ワンモーニングもあったか……。
我ながら爛(ただ)れているなぁ。
魔法抜きでは考えられない数字だぞ。

「……」
「ジャニスのことは腹がたつし、あんな思いは二度としたくないけど、それでも人生に絶望をしているわけじゃない。だから、責任を取って俺を養うなんて考えなくていいんだよ」
「……」

 セシリーは無言のまま唇をかんでいた。

「ということは、シローさんは自由恋愛に生きる人なのですね!?」

 突然、見知らぬ女の子に声をかけられて面食らってしまった。
目がクリクリした子で、おさげにした髪とそばかすが印象的だ。

「誰、君?」
「自分はセシリーの姉さんとこの島へ来たルージュといいます。こう見えて隠れ巨乳です」

 いきなり何のアピールだよ?

「シローです……よろしく」
「その……地味な私ですがフィーリングさえ合えば、シローさんとワンナイトラブが楽しめるということですよね!?」

 確かに顔は地味だけどグイグイくる子だ。
しかも隠れ巨乳……嫌いじゃない。
むしろ好きかも。
ストライクゾーンの広すぎる自分が怖いくらいだぞ。
だけどね、衝動と理性は共存していて、大抵は理性が強かったりするのさ。

「いや、やっぱり愛のないセックスはちょっと……」

 もちろん嘘だけど。
たまには性欲だけに身を任せたい夜もある。(朝も昼もある)

「まあまあ。こう見えて自分は経験豊富ですよ。ずっと近所の未亡人(男)の相手をしていましたからね。魔法なしで男を骨抜きにするのもお手の物です! シローさんも私の手にかかれば……」

 外見にそぐわないビッチぶり! 
嫌いじゃないけど……。
と、こう思ってからふと考えた。
日本では女の人がセックスに奔放だと「ビッチ」だことの「ヤリマン」だことのと非難される。
逆に男の場合は許容される風潮だ。
「ヤリマン」の対義語が「ヤリチン」だったとして、ヤリマンは侮蔑的に扱われるのに対してヤリチンの方はどこか誇らしげに使われることさえある。
これまで特に意識してきたことはないが、これからは俺が差別の対象となるわけだと考え至った。
だったらなおさらキッパリと言っておかなくてはならないな。

「あのさ、確かに俺はスケベで、女の人が大好きだよ。でもね、信頼できる相手としか寝ないんだ。だから君とは無理だよ」

 ルージュは穴のあくほど俺を見つめていた。
それから腕を組んで深く頷く。
隠れ巨乳は嘘じゃないな……、腕を組めば真実は露になる。

「分かりました! シローさんの信頼を勝ち取ればいいのですね!」
「はい?」
「自分はシローさんとのアバンチュールのためにも、誠心誠意を尽くします!」

 アバンチュール(恋の火遊び)のために誠心誠意って、語の矛盾を感じるぞ。

「ふん、貴様風情が兄上の信頼を勝ち取るなど笑止千万」

 シエラが俺とルージュとの間に割って入った。

「むう、人の恋路を邪魔するのはよくありませんよ」
「片腹痛いわ、この色魔(しきま)め。我が魔法で氷漬けにしてくれようか?」
「私は恋の炎に身を焦がしたいだけです。おチビの氷はお呼びじゃないですよ」
「シロー、私の求婚はその……」
「ええい、口の減らない奴め!」
「シローさーん、私ならシローさんの×××に××を×××してあげますよ」
「なんと破廉恥な! 貴様のような奴をお兄様のそばに近づけるわけにはいかん」
「責任を取るというか……私はその……」
「じゃあ、貴方は××に×××ができるんですか?」
「それくらい容易いこと! 私なら××の穴に×××××だってできるわっ!」
「ぐぅ……。やりますね……」

 なんなんだよこのカオス……。
しかも混沌はそれで収まらなかった。
さらにこの場に冒険者のミーナが現れたのだ。
しかも全身ズタボロの姿で。

「シローさん、パーティーが全滅してしまいました!」
「だから責任を取るというのは言葉の綾というか……」
「だから×××の裏から××の方にかけて行ったり来たりを繰り返しましてね」
「所詮は小娘の浅知恵よ。××は××××する方が男は喜ぶ」
「私はインビジブルリングがあったおかげで何とか逃げ出して」

 全員が同時にしゃべっているから何を言っているのか全然わからない。
俺は聖徳太子じゃないんだぞ! と叫びたかったが、叫んだところで誰一人意味を理解しなかっただろう。

「ストーーーップ‼」

 大きな声でみんなを制した。

「まず、セシリー。もう気にしないで。それと、これからもよろしく!」
「うん……」
「次にルージュ。真昼間からセクハラはやめてくれ! ただでさえここは荒くれ物の女が多い。変な誤解を与えて殺到されても困る。お相手が欲しかったら商業区に娼館があるからそちらをあたってくれ」
「自分、プロのお兄さんは苦手です」

 こいつは悪びれるということがないな。

「とにかく君とそういう関係になる気はない。それからシエラ」
「なんじゃ?」
「本当にさっき言ってたこと俺にしてくれるの?」
「ふむ……シローが望むのならそれもよいが……」
「シエラのことは信頼しているけど、なんだかそういう関係にはなりたくない(今は)」
「うむ。私もシローにはお兄様でいて欲しいぞ」

 だったらシエラとはこれでオッケーだ。

「最後にミーナ。なにがあった?」

 ポケーっと俺たちのやり取りを聞いていたミーナだったが、俺の顔を見て用事を思い出したようだ。

「う……ううっ、また、パーティーが全滅しましたぁ。私はパーティー潰しの死神なのでしょうか!?」

 ミーナが組んだ臨時パーティーがまた壊滅したのか。
彼女は一緒に島へやってきた二人の仲間も失っている。

「ミーナが一人悪いわけじゃないさ。ほら、怪我の具合を見せて」
「怪我は治癒士に治してもらいました。おかげでまた財布の中身が1800レーメンになってしまいましたけど……」
「そっか……。でも、ミーナが生きてて本当に良かった! 今からサバサンドを作るんだけどミーナも食べる?」
「うう……いだだきばず」

 ミーナを優しくなでて立たせてあげた。

「セシリーたちも食べていきなよ。すぐに作るからさ」

 人間は飯が食えて動けるうちは何とかなるもんさ。
食えば力も湧いてくる。
俺は手を洗っていつものエプロンを身につけた。

  ♢

「はあ……ありゃセシリーの姉さんがイチコロになるわけだ。天然エロエロ男ですね」

 ルージュの言葉にセシリーは拳骨を食らわせた。

「シローをそんな風に言うな!」
「アテテ……。でもあのエプロン姿がたまらないですよ。ありゃあ一見清楚系のM男ですね。処女キラーですよ」
「そうなんす。シローさんは家庭的に見えてエロイんす。でも優しいエロスっす! 私の初めてはシローさんに捧げたいと決めているっす!」
「小娘が勝手なことをほざくな」
「いや~憧れを持つくらいいいじゃないですか? 年上の男将さんにリードされて処女を捨てるなんて最高のシチュエーションっす!」

 シエラは大きなため息をついたがそれ以上は何も言わなかった。
そして、異世界のガールズトークはサバサンドができ上るまで続けられるのだった。

 念のためにこれだけは特記しておきたい。
シローはモテているわけではない、ヤレそうと思われているだけだ。
少なくともシエラとセシリー以外には。
シロー自身もそのことはよくわかっていたので浮かれてはいなかった。

64 俺は汚れているのか?

 小川の下流で二体一組となったイワオが大きな樽をシェイクしている。
樽の中には洗濯物と水、洗剤が入っていて、これは言ってみればゴーレムを使った洗濯機だ。
15分ほどシェイクした後、汚水はスライムの待ち構える汚水層へ注がれる。
新たな水を足してすすぎを二回もすれば洗濯物は綺麗になっているという寸法だ。

 洗いあがった洗濯物は大きな網に入れられ、イワオたちがこれをブンブンと頭上で振り回す。
そう、脱水だ。
こうして水気を取ったあとはゴクウたちがヤシの木に張った洗濯紐に干していくのだ。

 青空の下で風に揺れる白いシーツというのは見ていて気持ちがいい。
これで午前中の仕事は終わった。
後は夕飯の仕込みを始めるまではのんびりとできる。
宿泊客は全員ダンジョンへと行ってしまい、ここに居るのは俺とシエラだけだ。

 今日は珍しくシエラが洗濯物を干すのを手伝ってくれた。
背は低いんだけど宙に浮くことができるからシーツを干すのにも困らない。
シエラがここに来てから一カ月以上が経っているけど俺はもう宿泊費を貰ってはいなかった。
なんとなく一緒に住んでいる感じかな? 
ずっと「兄上」だの「お兄様」だのと呼ばれていたせいか、いつの間にか俺もその気になってしまったようだ。
中身は42歳とわかっていながら、可愛い妹と一緒に宿屋をやっている気分になっている。
お互いが窮屈じゃなくて、楽しいままに居られる距離感なんだと思う。

 言っておくけど身体の関係はないからな。
まったく欲情しないというと嘘になるけど、今の関係が気に入っているのだと思う。
戯れに一緒にお風呂に入ることもあるんだけど、互いの髪を洗ったり、背中をこすったりしておしまい。裸を見ればマイサンは反応するけど、一線を越えるには至らない。
シエラが俺を眷属にできないことも理由なんだけど、俺自身も強くそれを望んでいるわけじゃない。
使い古された「友達以上恋人未満」という言葉も当てはまらない気がした。
シエラは「本当の兄妹みたいではないか」というけど、本物の兄妹は成人したら一緒にお風呂に入らないだろう?

「兄妹っていうか……やっぱり俺たちの関係って特殊なんじゃないか?」

 そう言ったらシエラは嬉しそうに笑っていた。
どうして嬉しそうにしていたかは俺にも分からない。
聞いても教えてはくれなかった。

「そろそろご飯にしようか。何が食べたい?」
「ん~、サバサンド」

 サバサンドとはグリルした魚の鯖(さば)のサンドイッチだ。
鯖とパンの組み合わせにびっくりする人もいるけど、これが意外に美味い。
トルコの都市イスタンブールの名物料理でもある。
焼いた鯖とレタス、トマト、スライスオニオン、レモンを挟んで食べるととってもジューシーだ。
亜熱帯のこの島で高原野菜のレタスは絶対にとれないので俺しか作ることのできない逸品だぞ。

 先日、シーマが鯖を獲ってきた時に作ったのだがシエラは気に入ったようだ。
材料となる鯖はその時の残りを冷凍して保管してあるので問題ない。

「じゃあ、レタスを作製するからちょっと待っててよ」
「うん。……客がきたぞ」

 シエラが森の小道の方を見つめた。
つられて俺もそちらを振り向く。
緑の森に赤い花が咲いていた……そう見えたのは幻覚だったようだ。
実際のそれは人、赤い髪をした女の人だった。

「セシリー……」

 思わずその人の名前を呟いていた。
懐かしさと生きていたという安堵に胸を押さえてしまった。

「シロー!」

 セシリーも俺の姿を認めてこちらに近づいてくる。
久しぶりの再会だから思いっきりハグしようかな? 
きっとセシリーは真っ赤になって照れてしまうだろう。
そんなことを考えながらセシリーに近寄ろうとしたら、シエラがセシリーに殴りかかっていた。

「シエラ!」

 小柄ながらヴァンパイアの身体能力は人間のそれを上回る。
だけど、セシリーも爆炎の二つ名をもつ剛の者だ。
寸でのところで防御して直撃を避けていた。

「貴様なにを……」

 セシリーの言葉を無視してシエラは下段・上段と攻撃を続け、ついにセシリーの頬をぶん殴ってしまった。

「止めてシエラ! どうしたっていうんだよ?」

 抱きしめてシエラを止めたけど、その時になってシエラの体がピクピクと震えているのが分かった。
しかも普段は冷たいシエラの体が病魔におかされたように熱い。

「お前の……お前のせいでシローは酷い目にあった!」

 その一言でシエラがどうしてこんなことをしたのかが分かった。
シエラは俺がジャニスに犯されたことをセシリーのせいにしているのだ。

「シエラ、それは違う! あれは……」

 ジャニスのことはセシリーに言うつもりはなかった。
そんなことを話せば生真面目なセシリーのことだ、
自責の念で自殺してしまってもおかしくない。

「いったい何を言って……」

 口元から零れる血を拭いながらセシリーは立ち上がった。

「ジャニスのことだ」
「シエラ、止めてくれ!」

 俺は止めたけどもう遅かった。
発せられた言葉は拡散しても、記憶はそれをとどめてしまう。

「ジャニス? どうしてジャニスが……」

 こうなったら俺が説明するしかないだろう。

「ジャニスがこの島にやってきたんだ。ひどい傷を負っていた」

 俺はあの日起こったこと、シエラに助けてもらったことなどを話して聞かせた。

「私の……私のせいでシローは……」

 セシリーは膝から崩れ落ちてしまう。
俺にとってはもう過去の話なのだが、セシリーにとってはショッキングな事実なのだろう。
だけどね、俺はこの世界の男とはちょっとだけ精神の構造が違う。
悔しい思いや殺されてしまいそうになった恐怖は残っているけど、それももう克服した。

「セシリー、俺はもう大丈夫だから」
「だが……アタシは……」

 このままだと本当にどうなるかわからないぞ。

「セシリー、俺を見てよ」

 セシリーはうつむいたまま顔を上げようとしない。
仕方がないので両手でセシリーの顔を優しく掴んでこちらを向かせた。

「ちゃんと見て」

 セシリーは涙で濡れた目で俺を見つめた。

「どう? 俺は汚れている?」

 セシリーはブンブンと大きく首を振った。

「以前と変わってしまった?」

 再びセシリーは大きく首を振った。

「つまりそういうこと。もう大丈夫だ!」

 そう言って微笑みかけたけど、セシリーは小さく首を振った。

「私はシローに償わなくてはならない……」
「だからぁ、悪いのはジャニスであってセシリーじゃないでしょう」
「いや、私がきちんと死体を確認しなかったから……」

 俺は横目でシエラを睨んだ。
もう、余計なことをするから話がこじれてしまったじゃないか。

「シエラもこの話はもうおしまいだぞ」
「だが……」
「いつまでも俺がレイプされた話題で盛り上がりたいのか?」
「そ、そんな!」

 俺はシエラとセシリーを抱き寄せた。

「シエラ、セシリー、俺は本当にもう大丈夫だから。心配してくれてありがとう」

 心配してくれるんなら二人掛かりで慰めて! とは言えない。

 セシリーはずっと動かないまま俯いていたけど、やおら決意の表情と共に顔を上げた。
そして片膝を大地に付き俺の手を取った。

「シロー、私と結婚してくれ」
「……なんで突然?」

 唐突にもほどがあるだろう。

「責任を取りたい。私の一生をかけて君を幸せにする。だから!」

 そうきたか……。

63 商売繁盛

 ある日の夕方、シエラは岩屋の前の広場でゴーレム相手の戦闘訓練を行っていた。
その様子は宿泊客である冒険者たちも見ていたが、シエラはあえて見物客に見せつけるようにやっている。
不埒物(ふらちもの)にシローの宿の戦力を知らしめて、ここを襲う気を削いでしまおうという作戦だそうだ。

 シエラを相手に戦っているのはワンダー1号~3号、それからハリー1~2号までだ。
シエラなら全ゴーレムを相手でも互角に戦えるらしいが、あえて全貌を伏せるために他のゴーレムたちは脇で見学させるにとどめている。
五体のゴーレムを相手にシエラは宙を舞うように戦っていた。

「がんばれワンダー!」

 三体のワンダーが織りなすジェットストリームアタックは流麗だったけど、そのすべてをシエラは見切って避けていた。
ハリーの鉄針がシエラめがけて発射されたが、それもシエラは素手で打ち落としてしまう。

「なんて動体視力をしていやがる……」

 俺の横に立っていた冒険者が呆れたように呟いた。

「なあ、アイツをウチのパーティーにスカウトできないか?」

 これじゃあゴーレムの戦力を見せつけるというより、シエラの実力を見せつけていることにならないか? 
とはいってもウチの用心棒の力を宣伝するのも悪いことではないのだろう。

 すべての鉄針を打ち尽くしたハリー1号が俺のところへトコトコと駆けよってきた。
体中の針がない丸禿げ状態なので、その姿はよくわからない生物になっている。
失われた針は魔力を与える、魔石を食べさせる、修理する、のいずれかでまた生えてくる。
人目もあるので今は魔石を食べさせておいた。

 シエラはこれまでも冒険者パーティーに誘われていたが、本人はまったく興味がないようだ。
一日中岩屋の木陰に置いたハンモックで本を読んだり、俺と一緒に釣りに出たりして過ごしている。
店が忙しいときはブツブツ言いながら手伝ってくれたりもした。
もはやお客さんじゃなくてスタッフの一員のようになっているな。
普段は俺のことを「兄上」とか「お兄様」などと呼んでいるので冒険者たちは本当に俺たちが兄妹であると勘違いしているようだ。
どう見ても人種が違うだろう? 
そう思ったのだが、この世界は混血が進んでいて兄弟でも見た目が大きく違うなんてことはざらにあるらしい。
ルルゴア帝国が他民族国家を占領していった結果だと聞いて納得した。

 シエラとゴーレムの戦闘訓練は続いていたが、そろそろタイムリミットだ。

「シエラー‼ そろそろお店を開けるから訓練はそこまでにしてっ!」

 みんなあっけにとられて見ていたからもう十分だろう。
これまでだって店で俺のお尻に触ろうとした冒険者の手を氷漬けにしたり、売り上げを盗もうとしたシーフをハリーが釘付けにしたりと、シローの宿の実力はかなり広く知られているのだ。

「ほら、シエラも椅子を並べるのを手伝って」

 最近では岩屋の中だけでは足りなくて、晴れた日はビアガーデンよろしく屋外にテーブルを置いているのだ。
調理やサービスを担当するゴクウを二体も追加作製したくらい忙しかった。
冒険者も島のダンジョンに慣れてきたせいか順調に稼ぎを上げていると聞いた。
その反面、弱い人たちが死んでしまったという事実もあるのだが……。

「男将! もういいかい?」
「いらっしゃい! お好きなテーブルへどうぞ」

 常連になったガチムチ戦士お姉さん六人組が姿を見せた。
ぱっと見はバランスの悪そうなチームなんだけど、この島のダンジョンではトップクラスの成績を誇る優秀なパーティーなんだって。
一人一人が遠距離の弓攻撃から近接戦闘までをそつなくこなす優秀な人材らしい。

 気のいいお姉さんたちで、酔って暑くなるとすぐに裸になる癖があるところも大好きだ。
筋肉の上に乗っかっている胸もいいものだと思う。
いや、むしろ美しいと思う! 
俺のストライクゾーンは相変わらず広いのだ。
ただ、酔いが進み過ぎると俺のことを「お兄ちゃん」と呼び始めて、幼い口調になって甘えてくるところだけは引いてしまうのだが……。

「これお裾分け。きょうはコカトリアスが三体も狩れたからさ」

 マッチョお姉さんたちは大きなモモ肉の塊をくれた。

「ありがとう。これは焼き鳥にして後で持っていくからね」

 ゴクウに肉を渡すと、心得顔で調理場の方へ持っていった。
ゴクウもいっぱい学習していて、俺が細かく指示を出さなくても料理を作れるようになっている。
肉を切り分けて串打ちをするなんてお手の物だ。
焼き鳥は塩だけでなくタレも人気がある。
ジャパニーズバーベキューソースは異世界でも通用するようだ。

 続いてマスター・エルザがギルド職員の皆さんを引き連れて現れた。

「やあ、シロー。10人なんだけど席を頼む」

 珍しく団体さんでやってきたな。

「いらっしゃいませ。何かのお祝い事ですか?」
「そうじゃないさ。予定では明日辺りに次の船がやってくるからね。これからまた忙しくなるんだよ。皆には英気を養ってもらおうと思ってね」

 次の船が来るということは新しい冒険者がやってくるということか。

「まずは冷えた白ワインを貰おうか。食事の方は適当に頼む」
「承知しました」

 前菜にはエビとホタテのテリーヌを用意してある。
これは親父の得意料理だったんだよな。
こんな世界にやってきてしまったけど、料理をしていると家族のことを思い出す。
料理は好きだったけど妙な反抗心から実家のレストランでは働かずにサラリーマンになった。
兄貴もいたしね。
でも、本当は親父もお袋も俺に厨房を任せたかったみたいだ。
俺が異世界で料理をしていると知ったら、両親は喜んでくれるかな……?

「こんばんは」

 新たなお客がやってきて、ぼんやりしていた俺は我に返った。

「いらっしゃい!」

 父さん、母さん、俺は異世界でも元気で楽しく暮らしています。

   ♢

 モンテ・クリス島に新たな冒険者を乗せた船団が到着していた。
今回は642人の冒険者と72人の商工業者、3人の男娼がこの島に上陸する。
ちなみに前回の船でやってきた冒険者の内128名が既に死亡している。
また、この船で64名の冒険者が帰還することが決まっていた。

 盛んに荷下ろしがされている海岸の雑踏を縫って、二人組の冒険者が島に降り立った。

「へぇ……これが姉さんの言ってたダンジョン島ですかい」

 若いおさげ髪の女はきょろきょろと辺りを見回しながら大柄な女に声をかけた。

「ああ。アタシが見つけた時はダンジョンの存在は知られてなかったんだけどね。まあ、こうなっちまったら仕方がない。ギルドを通して仕事をするしかないね。さて……私は少し寄るところがあるから……」

 おさげはくりくりとした目を細め、ニヤニヤと笑った。

「ついに憧れのシローさんと感動のご対面ですか? ニクいですねぇ」
「バ、バカっ! そんなんじゃない。シローは私の命の恩人で……」
「はいはい、とにかくその人のところへ行きましょうよ。私も長い船旅でくたびれました。なんだかお腹がも空いてきたし。ねっ、セシリーの姉さん!」

 赤髪の女は不安そうに頷いた。
それから服を整え、髪に手櫛をいれる。

「お、おかしなところはないかな?」
「大丈夫ですって。だいたい男なんて大きな乳に目がないんです。姉さんの爆乳があればどんな男もイチコロですって」
「そ、そうか? だが、でかすぎる女は嫌われると酒場で聞いたぞ?」
「そんなの胸の小さい女のやっかみですって。シローさんだって姉さんの胸に喜んでむしゃぶりついていたんでしょ?」
「シローとはそんな関係じゃないと言ってるじゃないか! アイツとは……」
「はいはい、何でもいいから早く日陰に入りましょうよ。ここは暑くて死にそうです」

 女海賊セシリーは、冒険者として再びモンテ・クリス島の土を踏んでいた。

62 島にも人が増えまして

 商業地区に「トン テン カン」と鍛冶屋が鉄を打つ音が響いている。
新しい武器を作っているのではなく、すべて修繕のための鍛冶作業だ。
武器という物は、一度戦えばその都度ごとに洗浄や研ぎといったメンテナンスが必要になるそうだ。
微妙な切れ味の差が勝敗の行方を、もっと言えば装備者の生き死にをも左右することがある。
ダンジョン島の鍛冶師たちが忙しく働くのも無理はなかった。

 鍛冶師の一打ちごとに飛び散る火花は美しく、見ていて飽きない。
俺はしばらく立ち止まってクレイモアの修繕を眺めていた。
 熱せられた大剣が水につけられるとジュワッっと大きな音がして、水蒸気が壁のない小屋の中に広がる。
仕事に一段落したらしく大柄の鍛冶師がこちらを向いた。

「よお、兄ちゃんに見られていると気が散っていけねぇや」
「ごめんなさい」

 悪気はなかったのだが仕事の邪魔をしてしまったようだ。
鍛冶師はがっちりとした体つきのお姉さんで20代後半くらいの人だった。
長い髪を後ろでまとめていて、ノースリーブから伸びる腕は筋肉の塊のようにごつごつしている。

「何か用?」

 仕事中は厳めしい顔つきで怖そうだったけど、笑うと愛嬌のある人だった。

「そうじゃないんだけど、火花が凄くキレイで見とれてたんだ」

 お姉さんは困った顔をしながら持っていた槌を置いた。

「おいおい、人前でそんなことを言うもんじゃないよ、それともアンタ……」
「えっ、なに?」

 何を言っているのか意味の分からない俺を鍛冶屋さんは穴のあくほど見つめてきた。

「本当にわからずに言っているみたいだね……」
「俺、島育ちだから、常識とかあんまりないんだよね、変なことを言ってしまったんならごめんね」

 本当は島育ちじゃなくて、日本育ちだけど。

「そういうことかい。いいか兄ちゃん、覚えときな。火が好きな男って言うのは……淫乱と言われているんだよ」

 そうなの!?

「だから、普通の男は火事が好きとか、炉が好きとかは言わないもんだよ。そんなことを言えば自分はとんでもない好きものです、これからどこかへしけこみませんか、と言ってるようなものだからね」

 ところ変われば風俗も変わるんだね。

「うわぁ……本当に知らなかった」
「だからよぉ、さっきだって、てっきり兄ちゃんが私のことを誘っているのかと思っちまって……」

 ものすごい迷信と偏見だけど淫乱であることは外れてないかも……。
目の前のガテン系お姉さんだって、一晩限りのお相手なら全然ありだと思うし……。
腹筋とか触ってみたいかも。
でも、よく知らない人といきなりベッドインは怖すぎる。

「あはは、ごめんだけど、そのつもりはないです」
「やっぱりな!」

 鍛冶屋さんは豪快に笑って、その場はお開きになった。
たくさんの異世界人と触れ合い、書物を読んで、この世界のことも少しはわかってきたつもりになっていたけど、まだまだ知らないことはたくさんある。
毎日がカルチャーショックの連続だった。

 鍛冶屋のお姉さんと別れて目的の商店へと向かった。
もともと商業地区には小麦粉を買うために出向いてきたのだ。
創造魔法で作ってもよかったんだけど、今は道路に設置するための街灯を十本まとめて制作中だから余裕がない。
これは防犯対策という意味合いもあるんだけど、夜に店へやってくるお客さんへのサービスへの一環だ。
シローの宿は商業区から少し離れている。
お客さんは暗い夜道をわざわざやってきてくれるので、少しでも足元を明るく照らしてあげようと考えたのだ。

「いらっしゃい男将さん! 今日は何を差し上げましょうか?」

 顔なじみになった店のお姉さんがニコニコと接客してくれた。
島の男は男娼たちと合わせても六人しかいないので、みんな俺の顔をすぐに覚えてくれる。

「小麦粉を二袋ください」

 小麦粉の出番は多い。
肉や魚をソテーする時も塩をした後に表面に振りかけて使う。
こうやって焼くと小麦粉がうま味を閉じ込めてくれるのだ。
切り身の表面に振りかけるだけだから少ない量で済むと思うかもしれないが、毎日使っていればこれでなかなかの量になる。
フライや天婦羅などをする時も使うので1キロくらいならあっという間になくなってしまった。
最近ではシエラにクレープやパンケーキをせがまれることも多い。

「ここのところ泥棒も多いみたいだから気をつけてくださいね。金だけじゃなくて食料品も結構盗まれるんですよ」

 稼げない冒険者も出てきて、食べ物が盗まれているようだ。
そういえばマンゴーやバナナを取る冒険者の姿をよく見かける。
きっと食事代にも事欠いているのだろう。
最近では道路脇の果物は取りつくされて、すっかり目にしなくなってしまったほどだ。

「うちは用心棒やゴーレムがいるから大丈夫ですよ」

 先日も畑で盗みを働こうとした冒険者がワンダーに捕まった。
聞けば飢えに耐え切れずに盗みを犯そうとしたそうだ。
仕方がないのでお腹いっぱいご飯を食べさせた後にトイレ掃除と風呂掃除をしてもらったよ。
さすがに腹を減らした人を犯罪者だといってギルドに突き出すのは忍びなかった。
飢えの苦しみって相当なものだと思うもん。

 何軒かの店先を覗いて、新しい布を追加で購入してから帰ることにした。
今日は健康のために歩いてきている。
護衛にはワンダーとハリーを連れてきた。
以前は通行人なんかいない道だったけど、今ではすれ違う人もチラホラいる。
しかも七割以上の確率でエッチな視線を送ってくるから困ってしまうのだ。
まあ、人口は700人くらいになったけど男は6人しかいないから仕方がないのかもしれない。
異性に飢えてしまう気持ちはよくわかる。
ここではスマホでエッチな動画を見るというわけにはいかないのだ。

「男将さん!」

 前方から手を振って駆け寄ってくる冒険者がいた。
その姿は記憶に新しい。

「おっ、ミーナじゃないか」

 彼女はミーナと言って、先日うちの畑から野菜を盗もうとした女の子だった。

「どう、ちゃんと稼げている?」
「はい! おかげさまで最近は順調なんです。今度は客として男将さんの店でご飯を食べられそうです」

 ミーナはまだあどけなさの残る顔で満面の笑みを作っていた。
ボーイッシュな雰囲気が可愛らしい子だった。

「今日は潜らないの?」

 時間はまだ昼前だ。
ほとんどの冒険者はダンジョンを探索中だろう。

「今日は午前中に大物とぶつかりまして、かなりの実入りになったから解散になったんです」

 ミーナは特定のチームには所属しておらず、その日ごとにパーティーを組む流れの冒険者だった。
もともとは三人組でモンテ・クリス島にやってきたのだが、仲間たちはダンジョンで帰らぬ人となってしまったそうだ。

「それからこれ、この前ご飯を食べさせてくれたお礼です」

 おずおずと金属の指輪を手渡された。
鳩のような鳥が数羽連なった意匠が彫られている。

「ダンジョンで拾ったんですよ。ところどころ錆びていたけど、一生懸命擦ったから少しは綺麗になりました!」

 そう言って鼻の頭をこすっている姿は気のいいイタズラ坊主だ。

「掃除を手伝ってもらったから食事の代金はあれでチャラだよ」
「いや~、それじゃあ悪いっす! これは私からのプレゼントなんで」

 まだ財布に余裕はないだろうに、こうして借りを返そうとする姿がいじらしかった。

「ありがとう」

 あまりに可愛かったので思わずそのほっぺにキスしてしまった。

「わわわっ! シ、シローさん!」

 ビバ 異世界! 
日本だったら通報されてしまうけど、ここなら喜んでもらえるから不思議だよね。

「でもさあ、これをギルドの買取所に持っていけば少しはお金になるんじゃないの?」
「そうなんですけど、貰えて200レーメンがいいところですよ。それだったら男将さんにプレゼントした方がいいかなって」
「ん~、どうなんだろう」

 一見したところ、特に不審な点もない鉄の塊のような太い指輪だ。
あちらこちらで変色を起こしていて装飾品的価値は低いように見える。
指輪の内側には小さな記号が書かれていて、豆粒よりも小さな魔石が嵌められていた。
俺は鑑定魔法の代わりに修理魔法を発動してみた。

####

修理対象:インビジブルリング
説明:3分間だけ姿を消せるリング(使用回数は3回のみ。3/3)
消費MP:5
修理時間:4秒

####

 これは普通の指輪じゃなくてマジックアイテムじゃないか。
しかもマジック効果は修理の必要はないようだ。
4秒かければピカピカになるみたいだけどわざわざやる必要もない。

「ミーナ、これはマジックアイテムだよ」
「えっ!? マジっすか!?」

 ミーナにこのリングの効用を教えてあげた。

「ふわぁ……わからないものですね。それにしても男将さんって鑑定もできるなんてすごくないですか!?」
「そうじゃないけど……ちょっとは詳しいかな」

 俺はインビジブルリングをミーナの手に戻してやった。

「やっぱりこれはミーナが持っていた方がいいよ。売ればいい金になると思うし、万が一のために身につけておいてもいい」
「でも……一回あげたものを返してもらうなんて、女がすたるというか……」
「いいから、いいから。その代わり俺が困った時には力を貸してくれると嬉しいな」
「ん~わかったっす! その時はミーナが男将さんの力になるっす! とりあえずその籠を私が持ちます!」

 小麦粉や布の入った重い籠をミーナが持ってくれた。
遠くの方で雷の音が聞こえた気がする。
どうやらスコールがきそうな雰囲気になってきたので、俺たちは足早に岩屋へ戻った。

61 ニュー ムーブメント

 月日は進み、モンテ・クリスはすっかりダンジョン島の様相を呈してきた。
ギルドの建物をはじめとした各種商店も増えている。
もっとも、まともな建造物はギルド支部だけで、他の商店などは強い風が吹く度にギイギイ揺れるあばら家だ。
ここの気候は亜熱帯みたいだから壁板などを厚くする必要はなく、簡便な建物でも十分事足りた。
そしてギルド職員がやってきてから21日が経過した日、冒険者を乗せた最初の船がやってきた。

 やってきた冒険者の数は618人だった。
7隻の船に分乗して、食料などと一緒に運ばれてきている。
今後も追加の冒険者は運ばれ、魔石や素材が積まれた船が帝都へ戻っていくそうだ。

「一攫千金を夢見て集まった馬鹿どもさ。男将、初見のダンジョンに潜った時の生還率を知っているかい?」

 コーヒーを飲みに来たマスター・エルザに問われたが、知識の欠片もない俺に答えられるはずもない。

「88パーセントだよ。100人が潜っても12人が戻ってこない。そういう世界さ」

 618人がダンジョンに挑んでも74人くらいはすぐに死んでしまうというわけか……。

「それでもダンジョンに挑むんですね」
「それくらいにしか人生逆転のチャンスを見いだせない奴らなのさ」

 マスターも元は冒険者なのに辛辣(しんらつ)だった。

「まあ、このダンジョンの地下一階なら死亡率は下がるとは思うけどね」
「そうなんですか?」

 かなり手ごわいダンジョンと聞いているんだけど?

「ロッテ・グラムのおかげだよ。地下一階のトラップはすべて解除されているし、各所に安全地帯も用意してある。傾向と対策もよくまとめられているからね。実際のところ大した女だよ、あれは出世するね」

 褒められているのはグラム様だけど、俺は自分のことのように嬉しかった。

「さてと、そろそろ仕事に戻らないとね。あの馬鹿どもに訓示とやらを垂れなきゃならんのだよ」

 銅貨をテーブルの上に置いたマスターが立ち上がった。
マスターはすっかりここの常連さんになってくれている。
マスターだけじゃなくてギルドの職員さんたちが来ることもたまにあった。

「いってらっしゃい。また寄ってくださいね」

 マスター・エルザを見送りながら考える。
訓示か……、俺も一つやっておいた方がいいだろう。

 集まったゴーレムたちの前で俺は小さく咳ばらいをした。
シエラもその様子を見ている。

「あ~、諸君、毎日の労働ご苦労さん。いよいよこのモンテ・クリス島にも冒険者が大勢やってきた。そこでいくつか皆にも注意しておいてもらいたいことがある」

 最初に頭に浮かんだのは火の始末だった。

「人が増えるとそれだけ火事の危険度が上がる。不審な火をみたり、火事の惧(おそ)れがあるときはすぐに消火活動をしてくれよ」

 先日も商業区で火事が起こったばかりなのだ。
マスター・エルザとシエラの水魔法ですぐに消し止められたけど、二人が駆けつける前にかなりの備蓄が燃えてしまっていた。

「それから、先日のような事件がまた起こるかもしれない。みんなも十分気をつけてくれ」

 実は四日ほど前に俺はまたレイプされかけた。
相手は商業施設の建築に来ていた大工の一人だった。
こいつは俺専用トイレの中に予め潜んでいたのだ。
個人用といってもトイレの中は広く、清掃用具入れの棚も並んでいて、やつはその中に隠れていた。
尋問によると最初はレイプするつもりはなく、単にトイレをのぞき見しようとしただけだそうだ。
だけど俺が小をしている姿をみてムラムラが抑えきれなくなったらしい。
さすがにトイレの中にまでワンダーを連れて入ることはなかったので、このような事態に陥ってしまったのだ。
商売道具のノミを首筋に突き付けられて声も出せない状況だった。

「し、し、し、静かにしてろ」

 震える声と手で大工のレッカも緊張していることはわかった。
だけど、なにかのはずみで首筋のノミが皮膚を突き破ってくるかもしれないと考えると恐ろしくて動くことができなかった。

「す、すぐに済ますから……。だいたい、あんたが悪いんだぞ……そんな恰好で興奮させるから……」

 なんでやねん! 
服着たまんまでオシッコできるかーい!? 
って今ならつっこめるんだけど、その時にはそんな余裕はなかったね。背後から伸びたレッカの手で体をまさぐられながら身を固くすることしかできなかったよ。
ちなみにマイサンは固くならなかったけど。

「……ΞΞ〇Θ§Δ」

 扉の向こうから微かに詠唱が聞こえたと思ったら、レッカはもう凍り付いていた。
大きな音を立ててドアが外されシエラがトイレに入ってきた。
トイレを済ませておいて本当に良かったと思う。
そうじゃなかったらちびっていたはずだ。

「シエラ……」

 泣きそうになっている俺を見てシエラは頬を染めていた。

「早く服を着ろ。恥ずかしいではないか」

 そう言われて気が付いたけど俺は下半身が丸出しだった。

「そう思うんならガン見はやめろ……」
「す、すまん……」

 謝るだけで見続けてるし……。

「この人、死んだの?」

 氷漬けのようになっているレッカをつついてみると、冷たいだけでコチコチにはなっていなかった。

「寒さで気を失っているだけだ。フンっ、あそこは軽い凍傷にしてやったがな」

 なにそれ怖い。
あとで、すごーく痒くなりそうだ。
ようやく俺にも余裕が戻っていた。

 あれからトイレに入るにもワンダーやハリーを連れていくようになった。
まったく住みにくい世の中になったもんですよ。
用を足すだけなのに気を使わなくてはならないなんてひどい話だ。
冒険者の数が増えたらよからぬことを企む輩が出てくるかもしれない。
シエラだって年がら年中俺のそばにいるわけじゃないから気をつけないといけないな。

 そういえば、シローの宿は宿泊料金と食事料金を値上げした。
マスター・エルザやマダム・ダマスに懇願されたからだ。
うちのサービス内容で500レーメンとか5000レーメンだと誰がここに泊まるかで争いが起こりかねないと言われてしまったのだ。
ゴーレムたちがいるから労働力はかからないし、食費の原価だって創造魔法で作ったものなら0レーメンだ。
まともな商売をしていたらとても太刀打ちできないだろうと考えて、値上げの案を受け入れた。
食事は1500レーメンから、宿泊料金も12000レーメンからになった。
物価の高い帝都ルルサンジオンだったとしても高級ホテル並みの料金だそうだけど、こんなのでお客さんが来るのだろうか? 
だけど、そんな心配は杞憂だったようだ。

「ごめんよ!」

 シエラと長椅子でくつろいでいたら六人組のパーティーが入り口に現れた。
大柄な女戦士の集団だった。

「酒と食い物を頼みたいんだけど、やってるかい?」
「いらっしゃいませ! 今日は大きなカニが入っているから、焼きガニにしてアイヨリソースをつけて食べると美味しいですよ」

 アイヨリソースは卵黄、オリーブオイル、ニンニクなどで作るマヨネーズ系のソースだ。
魚介や肉、野菜につけても美味しい。

「そいつはうまそうだ! ビールと一緒に貰おうか」
「ビールは普通のにします? それともシローの宿特製の冷えたビールっていうのもありますけど」
「冷えたビール? 珍しいな。それじゃあ私はそいつを貰おうか」
「私は普通の奴で」

 次から次へと注文が入り、別のお客さんもやってきた。

「ワインを一本ちょうだい。それからフィッシュアンドチップスも」

 ゴクウと俺がフル稼働で働くけど手が足りない。

「シエラ、シーマに魚を取ってこさせて」
「な、なんで私が」
「俺はここを離れるわけにはいかないだろう。シエラならゴーレムたちも言うことを聞くようにしてあるし」
「それは、私が戦闘指導をするためであって……」
「優しい妹はお兄ちゃんの言うことを聞いてくれるもんだろ?」
「そんな言い方、ずるいぞ」
「あとでシエラのいうことを何でも聞いてあげるからお願い!」

 手を合わせて頼むとシエラは視線を逸らせてボソリと呟いた。

「それじゃあ、今夜は久しぶりに一緒にお風呂に入ってもらうからな……」

 店にいた客たちが急に黙ってじっとこちらを見ていた。

「あっ、この子は妹なんです。気にしないでください」
「お、おう……」

 苦しい言い訳だったな。
地球でも25歳のお姉ちゃんと14歳の弟が一緒にお風呂に入るのは一般的ではない。

「おい、私も急にお兄ちゃんが欲しくなってきたぞ」
「私もだ」
「いいよなぁ、お兄ちゃん……」

 マッチョな女戦士たちの間にいきなり訪れたお兄ちゃんブーム。
この世界の戦士たちは案外甘えん坊なようだ。

60 泣き上戸

 シルバーたちの引く馬車で来ていたので、マスター・エルザにも御者台へ乗ってもらった。

「他の方の到着を待たなくても大丈夫ですか?」
「あいつらが桟橋へ着くには後1時間はかかるよ。その前に島のあらましだけ見せておくれ」

 地図は頭の中に入っていても、実際に現地を見ないと詳しいことはわからない。
細々とした指示を出すためにも先に現地を視察したいというマスターの意向だ。
海岸から岩屋へと続く道の途中には兵士たちが使った宿営地がある。
まずはそこから見てもらうことになった。

 しばらく進むとイワオたちが隊列を組んで歩いている場面に出くわした。

「あれが報告にあった土木作業を手伝ってくれるゴーレムだね」
「そうです。私はイワオと呼んでいます」
「今はなにをやっているんだい? ただ歩いているようにしか見えないけど」

 マスターの見立て通りで、イワオは歩いているだけなのだ。

「私が頼んで道を歩いてもらっているのです」
「ああ、そういうことかい」

 マスターは俺の言いたいことをすぐに理解した。
気も短そうだけど頭の回転も速い人のようだ。
モンテ・クリス島の住人は俺だけだ。
たとえ道を作っても、人の往来がなければすぐに草が生え、踏み固められないまま崩れてしまう。
道というのは定期的に人が使ってこそ、その姿を維持できるのだ。
だからこれといった仕事のない時には、なるべくイワオを歩かせていた。

「調査隊が去って1か月になります。宿営地も少し荒れてきていますよ」
「それくらいなら問題ないさ。今日から人が住めばすぐに元通りになる」

 調査隊が宿営地にしていた広場にはギルドが経営する簡易宿泊所が建ち、商人などが店を出すそうだ。

「アンタにとっては商売敵になっちまうが……」
「気にすることはないですよ。どうせうちの客室は6部屋だけですから」

 もとから熱心に商売する気はないのだ。
それに駆け出しの冒険者は金を持っていない。
。一泊5000レーメンという金額は良心的ではあるが、それすらも払えない人はいっぱいいるとのことだった。

「簡易宿泊所の料金っておいくらなんですか?」
「大部屋の雑魚寝で500レーメンだよ。飯代は別だがね」

 ギルドの直営店が大衆店、俺の店は高級店として住み分けはできそうだな。
高級店というほどの値段ではないんだけどね。

 宿営地を見回った後はシローの宿も見てもらうことになった。
マスターエルザは好奇心にあふれた目で岩屋の周りを眺めまわしていた。

「へぇ! 風呂に酒に綺麗な個室か! こんな秘境で大したもんだよ」

 お褒めの言葉として受け取っておこう。

「ところで男将のところは宿泊と食事だけかい?」
「そうですが?」
「わかった。だったら他の者にはよく釘を刺しておかないとね」

 ああ、俺が体を売っていないかという意味か。

「そうしてください。好きでもない女に抱かれるのは嫌ですから」
「うん。手を出してくるような奴がいたらアタシがキッチリ型にはめてやるからね」

 心強いお言葉だ。

「まあ、腕の立ちそうな用心棒もいるようだから心配はなさそうだけどね」

 マスターはちらりとシエラを見る。

「シローに手を出すものは私が許さん。場合によっては焼き尽くす」
「原則私闘は禁止だよ」
「相手が引かぬ場合は?」

 マスターエルザはボリボリと頭をかいた。

「まったく血の気の多い奴ばかりで困っちまうよ。もう少しエレガントに生きられないもんかね?」

 俺に同意を求められても困るぞ。
だけど、このお婆ちゃんは嫌いじゃない。

「ホントですね。マスター・エルザを見習ってほしいものです」
「まったくだよ!」

 マスターは大まじめに頷いていた。

 アルバイト代が出るということで、その日は浜辺で荷物の積み下ろしを手伝った。
もちろん働くのはイワオとシルバーたちだ。
報酬は全て魔石にしてもらった。
ゴーレムが増えた分、エネルギー源である魔力を俺が直接送り込むのは非常に大変になってきている。
創造魔法で作りたいものだってたくさんあるので魔石はいくらあっても困るということはなかった。


 島についた船団の内二隻はギルドの船だったが、残りの一隻は商人の船だった。
海賊に襲われることを恐れて一足先にギルドの船と一緒にやってきたそうだ。
夕方になって、商人の何人かが挨拶にやってきた。
マダム・ダマスと名乗ったでっぷりと太った商人が島の商いの元締めだそうだ。

「うちは武器、道具、食料など何でも扱いましてね、宿屋や娼館もやるのでご挨拶にと伺ったのですよ」

 男の俺が相手でも丁寧な口調なのは、俺が中級臣民であると知っているからだ。

「それはご丁寧にありがとうございます。島でわからないことがあったらお気軽に聞いて下さいね」

 値踏みをするようなマダム・ダマスの視線を受けながら社交辞令の挨拶を交わした。

「ありがとうございます。こちらはウチの店の男たちですよ。ほらっ、お前たちもさっさと男将さんに挨拶しなっ!」

 そう言われて俺は絶句してしまった。
マダム・ダマスが連れてきた人たちの中に男が5人混じっているのは最初から気が付いていた。
この世界に来てから始めてみる男だ。
年齢は二十代後半から四十代くらいだと思う。
そんな……このバーコード頭のおじさんも男娼なのか? 
髭が濃いめで、少しお腹も出ている。
赤いテラテラのシャツが痛々しく見えた。

「まったく、むさくるしいのばかりで済みませんね。辺境に出稼ぎにくるのは薹(とう)の立ったこんなのばかりでして」

 稼げる人は街で客を取るということなのだろう。
悲しい現実を突きつけられてしまったよ。

「よろしくね」

 酒とタバコでつぶれた声でバーコードおじさんが挨拶してくる。
どことなく総務の吉田課長に似ている気がした。
シャツの胸元に見える胸毛が哀愁をさそっている……。

「こちらこそ……」

 男たち五人は総じて元気がなく、気怠そうにしていた。

「なんか、顔色が悪いけど大丈夫?」
「まあ、死にそうになったからね……」
「死にそうに?」

 詳しい話を聞いてびっくりした。
なんと、男五人は家畜と同じ部屋で運ばれてきたらしい。
一般にこの世界では船に男を乗せるのは禁忌とされている。
男が船に乗ると嵐に会うとか、座礁するとかいう差別的な迷信が実しやかにまかり通っているのだ。
実際のところは男を巡って船員同士が争うのを避けるためなのだろう。
だから普通は男を船に乗せることはない。
唯一の例外は奴隷などの商品として男を乗せる場合だ。
その時だけは男を家畜扱いすることで船に災いの及ぶことを防ごうとするそうだ。
同じ男として同情を禁じえなかった。

「すぐにこれを飲んで。体が楽になるから」

 俺は肌身離さず持っている収納袋から自分用にストックしておいたライフポーションを取り出した。
ライフポーションと言っても劇的に聞くような代物じゃない。
だけど、飲めば多少の体調不良なら軽減される効果はある。

「男将さん……」
「男同士、困っているときは助け合わないとね」

 俺がそう言うと五人の男娼の目に涙が浮かんだ。
そういえば吉田課長も飲むと泣き上戸になる人だったな……。

59 マスター・エルザ

 翌日、ルイスちゃんは俺の愛情がたっぷり詰まったお弁当を手に帝都ルルサンジオンへと帰っていった。
しばらく会えないと思うと寂しくなるが感傷に浸っている時間はない。
ギルド職員到着に備えて準備しなくてはならないことはたくさんあるのだ。

 新たなゴーレムの作製、ゲストハウスの改装などを日々精力的にこなした。
センスはない俺だけど、シエラがデザインを考えてくれたのでお洒落な仕上がりになった。
シエラのインテリアは簡素ながらどことなく品性と落ち着きがあるのだ。

「シエラってもしかしていいとこのお嬢様?」
「む……そんなことはない……」

 否定しているけど動揺が激しかったから、きっと良家の子女なのだろう。
本人は隠したがっているようだったから追及はしなかった。
でも、立ち居振舞いを見ればある程度わかっちゃうよね。
実家が客商売をしていたからそういうところは目敏いのだ。

 18日間も創造魔法に明け暮れたから俺のレベルはまた上がったぞ。

####

創造魔法 Lv.13 (全カテゴリの製作時間が12%減少 クオリティアップ)
MP 2536/2536 (MP回復スピードアップ 2MP/分)
食料作製Lv.11 (作製時間22%減少)
道具作製Lv.10 (作成時間20%減少)
武器作製Lv.2 (作成時間3%減少)
素材作製Lv.8 (作製時間15%減少)
ゴーレム作製Lv.9(作製時間22%減少)
薬品作製Lv.5 (作製時間9%減少)
修理Lv.3 (作製時間5%減少)
魔道具作製Lv.5 (作製時間9%減少)
その他――

####

 レベルアップに伴う特筆すべきボーナスはMPの回復量が上昇したことだ。
これまでは毎分1MPの回復だったけど、今では2MP回復するようになった。
1日休めば2880回復してくれるので助かる。

 それから、しょっちゅうシエラのために血液を作製していたので薬品作製のレベルが上がっている。
ゴーレムもジャニスに破壊されたシーマを二体補充したり、新たなニョロを増産したおかげでレベルが上がり、新型のゴーレムを作り出せるようになった。

####
作製品目:ウッドゴーレム ハリネズミ型(Lv.1)
カテゴリ:ゴーレム作製(Lv.9)
消費MP 178
説明:兵器用のウッドゴーレム。パワーと防御力はないが機動性に優れる。全身に生えた鉄針を飛ばして攻撃をする。全長40センチ。
作製時間:48時間
####

 中距離攻撃特化型の兵器みたいだな。
木製のボディーに鉄の針が何本もついている。
針の長さは20センチ~12センチくらいでボールペンよりも太い。
砂浜で試し撃ちをしてみたけど、有効射程は50メートルくらいだった。
こいつにはハリーの名前を与えている。

「どう、シエラ?」
「私ならトゲを避けて踏みつぶせる」

 小さな胸を張ってシエラが威張った。

「シエラが強いことは知っているよ。客観的に見て実用に足りるかを知りたいの。変な奴とかモンスターを撃退できるかな?」
「そうよな……並みの相手なら問題なく倒せてしまうだろう。特にこいつは小さいから目立たない。死角から攻撃を受ければひとたまりもないはずだ。シローの犬と組み合わせれば戦術にも幅が出るだろう」

 犬ってワンダーシリーズのことね。

「だったらシエラがワンダーとハリーに戦闘を指導してよ」
「私が? そうよのぉ……」

 あんまり乗り気じゃなさそうだ。

「お礼はちゃんとするからさ」

 これからは流れ者や冒険者たちがたくさんこの島にやってくるのだ。
用心に越したことはない。

「お礼ねぇ……」
「何でも好きな料理を作ってあげるよ」
「ふーむ……」

 ダメか。

「じゃあ、好きなお酒を作製してあげる」
「酒ねぇ……」

 シエラはあんまり物に対する執着がないんだよなぁ。

「じゃあ……また兄妹ゴッコでもして遊ぶ?」

 あれから何回かそういう雰囲気に持って行こうとされてたんだけど、俺が渋っていたんだよね。

「ふむ……具体的に何をしてくれるか説明してくれ」

 何気ない様子を装っているけど食いついてきたな。

「そうだなぁ……今から肩車で岩屋まで連れて帰ってあげるでしょう」
「肩車……」
「それから、ご飯の時は優しくお給仕してあげる。望むんだったら食べさせてあげてもいいよ」
「そ、それで……?」
「寝るときは添い寝して、お話を聞かせてあげるよ。俺の故郷の昔話とか」
「……る」

 る?

「しゅりゅ。シエラ、お兄様のためにゴーレムを指導して最強のパーティーをつくりゅ!」

 やってくれる気になったようだ。

「ありがとうシエラ、今日のお昼はシエラの大好きなオムライスにしようね」
「うれしい!」

 2か月後には誕生日を迎えて43歳になるって言っていたけど、これでいいのかな? 
でも、シエラはこういう愛情に飢えているのかもしれない。
人間とヴァンパイアという差もあるだろうしね。
ここにいる間はなるべく優しくしてあげようと思った。

 岩屋へ戻るとシーマシリーズを除く全ゴーレムたちを集めた。

「みんな聞いてくれ。今日からこのシエラがお前たちの指導教官になるからな。シエラの言うこともちゃんと聞くように」

 これまでゴーレムたちはシエラの言いつけは無視していた。
だけどそれじゃあ戦闘訓練はできない。
これで言うことを聞くようになったかな?

「ワンダー1号、一歩前へ出ろ」

 シエラの命令にワンダー1号が前に出た。
どうやらシエラの言うことも聞くようになったらしい。

「これで大丈夫かな?」
「うむ。後はゴーレムの学習能力次第だ」

 ゴーレムたちはトライ&エラーを繰り返していろいろ憶えていくので大丈夫だろう。
それだからこそ学習したゴーレムを失いたくない。
修理で直せるものはきちんと直してやらないとね。
ただ、新しいゴーレムも古いゴーレムと接触することで学習内容を継承できるということがわかっている。
全滅さえしなければ憶えたことは受け継がれていくので使い勝手はどんどん良くなっているのだ。

 シーマシリーズも5号まで再編成して、今はジャニスの乗ってきた小型船を引っ張る練習をさせている。
こちらの方も日々上達しているようだ。
そろそろ島と島の間くらいなら航海ができるんじゃないかな。
ポッポーを探索に出して他の島を探させようと考えているところだ。
何があるかわからないから緊急避難的につかえる隠れ家にしたいんだよね。
そんな計画も密かに進行させていくつもりだった。

 さらに二日後、島を巡回中のポッポーが三隻の船団を見つけた。
ついにギルド職員たちを乗せた船が到着したようだ。
三日月海岸にでて沖の方を注視していると、小型船が海上に下ろされ上陸準備をしている様子がよく見えた。
あれこれと指示を出している大柄な女性が見える。
あれがマスター・エルザかな? 
顔はよくわからないんだけど、オレンジ色の髪の毛が南国の日差しを浴びて光っている。

 突然、マスター・エルザらしき人が舷側の上に飛び上がり……そこから海へと飛び降りた。
海に入ったのかと思ったのだがそうではない。
なんと、高速で海の上をこちらに向かって走ってくるではないか!

「右足が沈む前に左足を前に出しているのじゃ。せわしない移動法じゃのぉ」

 シエラは冷静に観察しているけど、そんなのはエリマキトカゲくらいしかできないことだからね!

バンッ‼

 砂浜から15メートルくらいの場所で、その人は思いっきり海面を蹴り、一気に浜まで跳躍した。
そして、俺の前にずいっと体を近づける。
ぎょろりとした大きな目玉で見つめられるとコチラの心の奥まで覗かれているような気分になった。

「アンタがシロー・サナダだね。アタシはエルザ・バーキンだ。ギルドの支部長を任された者だよ。話は聞いているね?」

 近くで見るとオレンジ色の髪の毛には白いものも混じっていたけど、とてつもない覇気をまとったおばあちゃんだ。
実年齢は70を超えるそうだけど、どう見ても50前くらいにしか見えない。

「はい。シロー・サナダです。よろしくお願いします」
「ああ、よろしく頼むよ。さっそく島の案内を頼みたいんだがね」

 お茶などでのんびりもてなされるよりも、片付けるべきことを先に終わらせたいタイプと見た。

「それでは調査隊の兵士が使っていた宿営地、その後にダンジョンまでの道のりをご案内しましょう」

 マスター・エルザは俺を見て目を細める。

「ほぅ……、いいね。アンタみたいな男は嫌いじゃないよ!」

 マスター・エルザは満足そうに頷いて腕を組んだ。

58 モンテ・クリス島の今後

 朝食が終わるとルイスちゃんは居住まいを正して俺に数枚の書類を渡してくれた。

「こちらはロッテ・グラム様から頼まれました、シローさんの身分を保証するための書類ですよ」

 グラム様は俺が帝国から保護を受けられるよう、方々へ手を尽くしてこの書類を整えてくれたようだ。
彼女の親切を思うと涙が込み上げてきた。

「それからこちらはダンジョン調査への協力と貢献に対しての感謝状です。えと、シローさんは字を読めますか?」

 それならば心配ない。
この世界に送られた時にヒラメによって知識が授けられたようだ。
感謝状には俺を中級臣民として認めるなんて書いてあった。

「この中級臣民ってなんなんです?」

 ルルゴア帝国の国民は低級・中級・上級・貴族の四種類に分けられるそうだ。
階級によって就ける職業が異なったり、移動の制限などもある。
中級になると国内の関所も手形さえあれば通れるようになるし、職業選択の自由もある程度認められているそうだ。
もっともそれは原則的に女に限った話であって、男の権利はあまり認められてはいないのだが。
いずれにせよ自由平等が建前の日本国からきた俺にとっては堅苦しい世の中だと感じた。
中級臣民として認めるなんて言われても、民主主義世界出身の俺は軽い反発を感じてしまう。
でも、俺がいきがったところで世界は変わらないし、せっかくグラム様が俺のために考えてくれたことなら何も言うまい。

「ルイスさんはグラム様のことは何か聞いてる?」
「グラム様はこの度のダンジョン調査で失われた宝剣を発見した功績を認められて叙勲されましたよ」

 そっか、エクソシアスの剣が役に立ったんだな。

「上層部の覚えもめでたく、近々昇進されるなんて噂もあります」
「それはよかった。俺もあの方にはお世話になったから嬉しいよ」

  この先、会えるかわからないけど、きっともっと偉くなってしまうんだろうな……。

「今後のことですが、帝国はこの島のダンジョン管理を冒険者ギルドに委託することを正式に決定しました」
「やっぱりそうなったんだ」
「すでにギルド職員や職人を乗せた船は港を出発しています。今週中にはこの島に到着予定です」
「そんなに早く?」
「冒険者たちを受け入れる前にギルドの建物等を完成さておく必要がありますから。ダンジョン前に基礎工事だけが完成した兵舎があるでしょう?」

 俺もイワオを使役して手伝ったからよく知っている。

「あそこをギルドの建物に転用するそうです」

 物品の買取や治療所、地図の作製や、荷物の管理などがギルドの主な仕事になるらしい。

「ギルドの人は何人くらい来るの?」
「職員は15名くらいですが、今回は大工たちが30名同行します」

 突貫工事で建物を作るそうだ。

「この島もまたにぎやかになりそうだね」
「それだけじゃないです。帝国が正式に派遣するギルドとは別に、商人たちもこの島にやってくるみたいですよ」

 冒険者がくれば、ビジネスチャンスが生まれるというわけか。
食料品を運ぶ船や武器商、魔石の買取、男娼を束ねる元締めなんかも移動中らしい。

「うわぁ……治安が悪くなりそうで怖いなぁ」
「それは言えますが派遣されてくるギルドマスターは伝説のエルザ・バーキンです。彼女が目を光らせている限り問題は起こらないいと思います」
「そんなに凄い人なの?」
「今は高齢で引退しましたが元はS級の冒険者です。1分以内の短期戦なら未だに世界最強だなんて噂もあるくらいですから」

 なんか凄そうだ。
マスター・エルザか、どんな人なんだろう? 

「ルイスさんはマスター・エルザを見たことある?」
「はい。とても迫力があって、元気な方です。お年を感じさせない行動力が素晴らしいと思いました」

 フォースが使える緑色をした小柄な人を想像したり、ママと呼ばれる空賊の船長を想像したりしたけど、想像は千々に乱れた。
マスター・エルザは単にギルドマスターとしてこの島に赴任するだけでなく、警察権と行政権をもった総督代理になるそうだ。
やばい人間が権力を振りかざすのは不安だったけど、ルイスちゃんが言うには豪快で公平な人らしい。
とりあえずは自分の目で見て判断を下すしかないな。
同じ島で暮らしていけないと判断したら、どこか違う場所へ逃げるだけだ。
そのためにも失われたシーマたちを新たに作り出さなきゃいけないな。

 話が終わると仮眠をとるルイスちゃんをゲストルームへ案内してあげた。
昨晩は岩礁の上でうつらうつらしただけできちんとした睡眠はとれなかったそうだ。
くつろげるように俺のルームウェアを貸してあげた。

「寝ている間に洗濯をしておくから、ゆっくりと休んでね」
「はい……」

 俺のTシャツをきて身を縮ませているルイスちゃんが可愛らしい。
さっさと洗濯にとりかかるか。
今日は日差しが強いから午前中に洗濯ものも乾いてしまうだろう。

 ルイスちゃんの服を抱えて岩屋に戻ってくるとシエラがつまらなそうに話しかけてきた。

「あの娘に随分と親切じゃないか」

 ルイスちゃんのことでやきもちを焼いているのか?

「前からの知り合いだし、あの子は純真そうで可愛いだろう?」
「ふん、シローが処女好きのお兄さんとはな……」

 日本的に翻訳すれば童貞好きのお姉さんってこと? 
別にそういうわけじゃないんだけどな。

「つまらないこと言っていないでシエラも洗濯ものを出しなよ、洗ってあげるから」
「よ、よいのかの?」
「遠慮することないよ」

 実際に洗うのはゴクウたちだけどね。

 洗濯の指示を出してから畑の見回りに出た。
早朝の涼しいうちにニョロたちが水やりをしてくれたらしく、土はまだうっすらと湿り気を帯びている。
ヘビ型ゴーレムのニョロシリーズは害虫や害獣の駆除だけではなく、腹に溜めた水を口から畑にまくことも出来る。
イワオが桶に水を汲んできてニョロがそれを散水するというシステムができ上り、作物の育成も楽になった。
これからは人が多くなるので畑の規模をもう少し大きくしないとだめかもしれない。
もちろんモンテ・クリス島の面積では養える人間の数は限界がある。
食料は大陸の方から船で運ぶと聞いているけど、シローの宿に泊まるお客さんには新鮮な野菜を使った料理を食べさせてあげたいのだ。
シーマ、ニョロ、ポッポー(虫捕り)の数を増やさなくてはならないな。

 よく育った島ラッキョウを籠一杯に収穫した。
酢漬けのピクルスにしてもいいし、みじん切りにして肉のソースに加えたり、タマネギの代わりに刻んで卵やマヨネーズと和えてタルタルソースにしても絶品だ。
普通のラッキョウよりはずっと大きいのでフライにしてもホクホクで俺は大好きだった。
シーマに頼んでエビを取ってきてもらおうかな? 
今日のランチはタルタルソースをつけたエビフライなんてどうだろう? 
出張の時に名古屋で食べたエビフライはすごく大きくて、食いでがあって、食べ終わった後の満足感が素晴らしかった。
きょうはあんな大きなエビフライを作ってみたい。
他にはオクラ、ナス、ブロッコリーなどの夏野菜を使ったパスタがあればお腹もいっぱいになるだろう。

 ルイスちゃんは好き嫌いがないし、シエラも多分大丈夫だろう。
生の肉や魚以外は食べられると言っていた。
とにかく生の筋肉繊維が断ち切れる感触が生理的にだめだそうだ。
火を通してあれば全く問題ないというのだからよくわからない。
とにかく刺身やレアに仕上げた肉は厳禁といわれているから気をつけることにしよう。

 洗いあがった二人の服が風に揺れている。
ルイスちゃんは白で、シエラは黒のレース付き、後ろは紐状か……。
見た目は子どもなのにそんなところだけ大人なんだな……。
よし、エビ釣りに行こう!

57 朝シャン

 あくびを漏らしながら居間へ入っていくと、シエラが姿勢正しく椅子に腰かけていた。

「おはようシロー、爽やかな朝であるぞ」

 ヴァンパイアが爽やかな朝だなんて違和感を覚えてしまう。

「おはよう。シエラは朝日が平気なんだね」
「うん? 私を婆様扱いしないで欲しいな。今どきのヴァンパイアは日光くらい平気だぞ」

 そういえば昨日だって日中に活動していたもんな。

「俺の世界ではヴァンパイアは日光が苦手とされているんだよ」
「それは遮光魔法が開発されておらんからだ」

 今から300年くらい前に一人の天才ヴァンパイアが遮光魔法という画期的な魔法を開発したそうだ。
この魔法は自分の表面を薄い闇魔法のベールで包むことによってヴァンパイアに害をなす光を無害なレベルまで落としてしまうらしい。

「これによりヴァンパイアの活動時間は日中にも広がったのだ。もっとも、爺さん婆さんの中には、ヴァンパイアが昼に生きるのは恥ずべきことだなんてことを言う者も少なくはないがな」

 ヴァンパイアにも世代間ギャップがあるんだねぇ。

「じゃあ、シエラは今もその遮光魔法を使っているの?」
「いや、ずっと自分で魔法を使ってもいいのだが私はこれを使っている」

 そういうと、シエラは右手を差し出して見せてくれた。
手首には銀の蛇が巻き付いている意匠の腕輪がはまっていて、濃い紫をした宝玉がついていた。

「このアイテムを装着していると自動で遮光魔法がかけられた状態になるのだ」
「自動なら便利そうだ」
「最近では極限まで出力を落とした遮光魔法アイテムが流行っていてな。これを使うとヴァンパイアなのに日焼けができるという優れモノだ。私は趣味ではないので使わないが」

 なにそれ、見てみたい! 
ヴァンパイアなのに黒ギャルとかレア過ぎるじゃないか! 
もっとも俺の好みとしてもヴァンパイアは白い方がいいと思うけどな。
黒くて正義なのはエルフさんだと思う。

「ところでシロー、私も水浴びをさせてもらいたいのだが、よいかの?」
「うん。お湯もいる?」
「できれば欲しいのぉ」
「それじゃあ、すぐに用意するからね」
「ああ、火を焚く必要はない。私が魔法で沸かすゆえ鍋だけ用意してくれればいい」

 さすがは魔法が得意なヴァンパイアだ。
こういうところは手間がかからないお客さんなので助かる。
せめてタオルなどのリネン類はこちらで用意してあげることにした。

 イワオを使って大鍋を炉に整えて、水を汲ませた。

「オッケー。いつでもお湯を沸かし……」

 振り返るともうシエラは服を脱いでいた。
木々の隙間から漏れる朝のか細い光の中で華奢な体が青白く輝いている。
小さな胸の膨らみには不躾な視線からその場所を守るように銀の髪がこぼれ落ちていた。
外見は少女のようだから、見てはいけないものを見ているような背徳感を覚えて、俺は赤面してしまった。
なんだろう、この罪の意識は?

「どうした?」

 俺の態度を見てシエラは小首を傾げている。

「何でもない。鍋の中に水を入れておいたから、あとはお願いするね」

 どうしても気恥ずかしくて横を向いて立ち去ろうとした。

「待て」
「なに?」
「シロー……お主、照れているのか?」

 その指摘は当たっているかもしれない。
欲情するというより恥ずかしいのだ。
たぶん、シエラの裸が美し過ぎるせいだと思う。
その証拠にマイサンは無反応だもん。

「ふーん……ふふっ」

 シエラが小さく含み笑いを漏らした。

「なんだよ?」
「お兄様、シエラ、髪の毛にお湯をかけてもらいたいな……。洗うの手伝ってほしいの……」

 お酒が入ってないのにシエラのごっこ遊びがはじまった。

「もう酔いは冷めているんだろう。だったら……」
「状況に酔うてしまったのじゃ。無粋なことは言わずに少し付き合え」

 もう、しょうがないなぁ……。

「お湯をかけるだけだからね」
「うむ。それ以上は望まぬ」

 シエラが沸かしたお湯に、桶の中で少しぬるいくらいになるまで水を足した。
髪を洗うときは刺激を弱くするために低めの温度の方がいいそうだ。

「まずはお湯だけでよく髪を洗おうね」
「はい、お兄様」

 始めると俺もついノリノリになってしまうんだよね。

「ちゃんと洗えたかな? せっかく美しい髪をしているんだからきちんとケアしないとね。次はシャンプーを出すから手のひらをだして」

 差し出された手にツボからシャンプーを出してやった。

「これは何?」
「シャンプーと言って髪の毛を洗うための液体なんだ。手の中でよく泡立ててから髪につけてみて」

 シエラは言われた通り手のひらをこすり合わせている。

「いい匂い……」
「今日は特別にバラの香りのシャンプーだよ。他にもベリーやトロピカルフルーツの香りもあるんだ」

 グラム様はベリー、レインさんはラベンダーの香りがお気に入りだったな……。

「目に入ると沁みるから気をつけるんだよ」
「はい、お兄様」

 香り立つ薔薇に包まれて、俺はシエラのうなじからお尻へとのびる背骨のラインにぼんやりと見とれていた。
これで42歳か……。

「それじゃあ、お湯をかけて泡を洗い流していくよ」

 泡を含んだお湯が排水ルートに流れ、お風呂スライムたちがプルプルと嬉しそうに震えた。
スライムたちもバラの香りが好きらしい。

「うん、どこから見てもピカピカのお嬢様だ」
「ありがとう、お兄様」

 はにかむシエラを見ていると本当に優しい気持ちになってくるから不思議だ。

「頭を拭いてあげるからこっちに来て」
「いいの……かえ?」
「遠慮しないでおいで」
「お兄様!」

 嬉しそうに胸に飛び込んできたシエラを抱きとめて後ろを向かせる。
そしてバスタオルを使って丁寧に水分を吸い取っていった。

「髪の毛が傷まないようにそっと拭かないとね」
「お兄様、くすぐったいです。…………つ!」

 頬を赤らめて甘えていたシエラの表情が突然真顔に戻った。

「シエラ?」
「シロー、誰かが来たぞ。人の気配がする」

 来客だろうか? 
それともジャニスみたいな海賊の残党?

「どこにいるの?」
「もうすぐこちらへ現れる」

 少し緊張したけど、ここにはシエラをはじめワンダーも6号まで揃っているのだ。
恐れるものはなにもない!
……はずだよね?

 木陰から道の方を注視していると一人の女が歩いてきた。
その姿に俺は胸をなでおろす。

「ルイスさん」
「シローさん! お久しぶりです」

 現れたのは国土管理調査院のドラゴンライダーであるルイスちゃんだった。

「うわぁ……話には聞いていましたけどいろいろと立派になっていますね!」

 前にルイスちゃんが来たときは、岩屋しかなかったんだよな。
三人同時の入浴シーンが見たくて大慌てで岩風呂を建設したのはいい思い出だ。
ミラノ隊長、チャラ女のリーアン、そしてルイスちゃんが並んだあの浴場、あれがシローの宿の原点だったんだよなぁ……。
思い返してみるとしょうもない原点だ……。

「どうしたんですか?」

 懐かしさにエロスを漂わせておりました、とは言えない。

「久しぶりに会えたのが懐かしくて、当時のことを思い出してたんだ。ミラノ隊長やリーアンさんはお元気ですか?」
「はい。みんな元気にやっておりますよ。今回の連絡員は私に決まってしまったのでリーアンさんに凄く羨ましがられました」

 リーアンの様子が目に浮かぶようだ。

「ところで、こんな早朝に到着だなんて夜中に出発したの?」
「恥ずかしながら、実は道に迷ってしまいまして小さな岩礁の上で夜を明かしました。明け方になってようやく雲が切れて現在位置が特定できたので飛んできたのです」

 そういえば昨晩は曇っていたな。
GPSなんてないから、星や月の位置で現在地や方角を求めているのだろう。

「それは大変だったね。ご飯は食べた?」
「いえ。ずっとシローさんの料理だけを楽しみに飛んできました」
「たいへんだったね。すぐにご飯の用意をしてあげるからね」

 腕をサスサスしながら慰めてあげたら、ルイスちゃんは真っ赤になって照れてしまった。
この反応が可愛くて優しくて妖艶なオカミさんを演じちゃうんだよね。

「シロー、私の分の朝食も頼むぞ」

 それまでずっと俺とルイスちゃんのやり取りを見ていたシエラに声をかけられた。

「うん。すぐに用意するよ。そうだ、シエラにはちょっとお願いがあるんだ」

 セットしていた血液があと7分で完成するのだ。
出来たら小分けにして冷凍してもらわなくてはならない。
それが終わったらパンを作製しよう。
レベルが上がったおかげで、いまや1個44秒で作製できるから、食パンをトーストするより早いぞ。

「ゴクウ4号、コユキの乳を搾ってきて。3号は卵の確認ね。5号と6号は家畜の餌やりにいって。1,2号は俺と一緒に朝食の準備だ」

 いよいよ一日が動き出した。
ルイスちゃんは帝国からの連絡を持ってきたのだろう。
朝ご飯を食べ終わって落ち着いたら話があるに違いない。
帝国は何と言ってきたか気になるところだ。
グラム様の提言を受け入れて一般開放するのかな? 
それとも新たな調査隊が派遣されるのか。
ドキドキしながらエプロンの紐を結んだ。

56 噛み合わない似た者同士

 食事が終わっても、シエラはソファーに移って酒を飲み続けていた。
3本目の酒壺を振って、最後の1滴を自分のグラスに注いでいる。
酔いもだいぶ回っているようだけど大丈夫かな?

「なるほろれ~、そういうわけれ兄上はアイツに犯されていたのじゃな」

 しっかりと俺とジャニスの行為を観察していたらしい。

「見ていたなら、さっさと助けてくれればよかったのに」
「そういわれてものぉ、最初はわからなかったのじゃ。野外で楽しんでいる輩がおるから覗いてやろうと思っただけでな」

 人の行為を覗いていたのかよ!

「覗くって、海の上だから遮蔽物なんてなかっただろう?」
「光魔法の応用で空と同じ色を作り出してな……私のオリジナル魔法じゃ……」

 エロは魔法を発展させる。

「俺がマストに縛り付けられている段階で察してくれよ」
「いや、そういうプレイを楽しんでいるのか、これは後学の為にもよく見ておこうと……」
「なわけないだろう!」
「その後のやり取りをみて助太刀したのじゃ、そう怒るな」

 シエラはコロコロと笑ってから俺に向き直った。
そしてグラスに残った酒を一気に呷りしんみりとした口調になった。

「兄上は犯されたにしてはサバサバしておるのぉ……」
「ん~そうだね……。ほら、俺は異世界からの転移者だから、物事の考え方がこちらの男とは少し違うのかもよ」
「またそのジョークか? 受けない話をしつこく繰り返すのはみっともないぞ。ゴクウよもう一本酒をもってきてたもう」

 シエラはゴクウに頼んだが、ゴクウたちはピクリとも動かない。

「シエラが命令してもいうことを聞かないよ。3号、お酒を取ってきて」

 戸口の一番近くにいたゴクウ3号は貯蔵庫の方へ走っていった。

「いいのう、兄上は。眷属がいて」
「眷属じゃなくてゴーレムな」
「似たようなものではないか。私とて眷属がいれば、兄妹ゴッコをしたり、膝枕をしてもらったり、寝る前にお話を読んでもらったりできるのに……」

 おいババア……。

「シエラは大人の女なんだろう?」
「そうではあるが、今夜は甘えたい気分なのじゃ! 私には年の離れた兄がおってな、幼い頃はずっと私の面倒をみてくれたものじゃ」

 いわゆるブラコンってやつか? 
というか地球でいうシスコンに近い感情なのかもしれない。

「それでも俺より年上だろう?」

 シエラは言葉を詰まらせる。

「そ、それでも私は妹プレイがしたいのじゃ!」

 プレイって言っちゃうし……。

「ヴァンパイアの平均寿命は300歳くらいぞ。私など少女みたいなものではないか?」
「まあねぇ……」

 シエラはコロンと横になると自分の頭を俺の膝に乗せてきた。

「兄上に甘えりゅぅ」
「おいおい……」

 ふわりとした髪が腕にまでかかってくすぐったいけど、無邪気に甘えるシエラを見ていたら変な気持ちにはならなかった。

「ところで、一カ月逗留するって言ってたけど、明日はどうやって過ごすつもり?」
「そうよなぁ……、この島に観光名所などはあるのか?」
「観光名所と言えるかはわからないけどダンジョンならあるよ」
「ダンジョンのぉ……」

 反応が薄いな。

「ダンジョンに興味はない?」
「わざわざモンスターと戦うなどバカらしいではないか。金にも困っておらんしの」

 さっき見せてくれた革袋にはぎっしりと金が詰まっていたもんな。

「なんか余裕があって素敵だね」
「うむ、金と男に不自由はしておらん」

 ヴァンパイア同士では婚姻という契約はなく、基本的に自由恋愛だそうだ。

「300年も生きるからのぉ、ずっと同じ相手では飽きてしまうのだ」

 そんなものなのかもしれないな。
子どもだって生まれることは滅多になく、一人も出産しないまま一生を終えるヴァンパイアも少なくないそうだ。

「本当はシローを口説いて兄妹プレイをしたいのだが……」
「え~、出会ったばかりでそこまではちょっと」

 シエラは俺の膝に頭を乗せたままポリポリと頬を掻く。

「安心いたせ、無理やりはせぬ。それになヴァンパイアの掟で眷属化した人間以外と交わることは禁じられておるのだ。おかげで人間の男とは未経験じゃ」

 俺もヴァンパイアとは未経験だけどさ……。

「こうやって聞いていると、人間とヴァンパイアって思っていたより接点が多いんだね」
「うむ。我々は普通に人間に混じって暮らしているぞ。姉上は帝都でアパート暮らしだし……」

 この世界のヴァンパイアは人間と共存しているそうで、人間界で働く者も大勢いるとのことだ。

「血が欲しい時はどうしているの?」
「金で買うことがほとんどだな。男娼などはいい稼ぎになるということで喜んで血を吸わせてくれる。私は試したことないがな。あとは自分の恋人から血を分けてもらうこともある」
「眷属にした人から吸うってこと?」
「うむ。眷属のいない私としてはそれも未経験だ」

眷属となった人はヴァンパイアの力の一部は得るけど、寿命は普通の人間と同じだそうだ。
とにかくヴァンパイアと人間が敵対する関係じゃなくてよかったよ。

「実を言うとちょっとだけ心配していたんだ」
「心配?」
「もうすぐこの島に帝国の冒険者たちがやってくるかもしれないんだ。だからシエラと衝突するようなことがあったら困るなって思ってた」

 そろそろ何らかの連絡が届いてもおかしくない時期だ。

「そういうことか。安心いたせ、ひねりつぶすのは簡単だがことさら敵対する気もない」
「仲良くしてくれよ」
「あちらの態度次第だな」

 シエラは不敵に笑った。
こういうタイプは無理に頼んでもダメだろう。
俺は膝の上のシエラの頭にそっと手を伸ばした。
そして、優しく髪の毛を撫でていく。

「シエラはいい子だもんな。みんなと仲良くできるよな?」

 優しく妹に語り掛けるようにしてみた。
兄妹プレイをしたがっていたから乗ってくれるといいんだけど。

「……する……シエラ、みんなと仲良くしゅりゅぅ」

 結構疲れる42歳だ。


 4本目の酒も飲み干して、酔いつぶれたシエラは俺の膝枕で寝てしまった。

「お兄ちゃん。シエラ、もっと飲みたいな……ムニャ」

 何がお兄ちゃんだよ、俺より17歳も年上のクセに。

「ゴクウ、シエラの荷物を持ってきて」

 ゲストルームへ運ぶために持ち上げたけど、シエラは本当に軽かった。

「こうしてみるとあどけない少女なんだけどね……」

 久しぶりに人と喋れたらしく、たいそうご機嫌になって飲み過ぎてしまったようだ。
夜中に咽喉が乾いて起きるかもしれないからベッドサイドに水差しとコップも用意しておいた。


 ジャニスと戦ったシーマたちは修理もできないほど損壊していたので、新しいゴーレムを作らなければならなかった。
だけど、それは後回しにして、今はシエラのために血液を1リットルセットしている。
翌朝には完成するので、出来上がったら50mlの小分けにして冷凍しておくつもりだ。
シエラの魔法ならわけないだろう。

 今夜は俺も久しぶりにたくさん喋れて大満足だった。
なぜか、シエラが相手だと話しやすいのだ。
見た目は少女だけど中身が年上だからかな? 
たぶん、俺たちの意外な共通点が原因なのだろう。
実を言うと俺にも密かな願望がある。
シエラが兄妹プレイをしたいように俺は姉弟プレイがしたいのだ!

 妹もいいと思ったけど、やっぱり俺は断然姉派だ。
ある意味で似たもの同士だけど噛み合わない俺たち。
だけどこの妙な関係がおもしろくもある。
新しいゲストを迎えたシローの宿はどうなっていくのだろう? 
明日がくることを楽しみな気持ちで眠りにつくことができた。

55 ヴァンパイアと酒盛り

 創造魔法で作り出した血液を喜んでもらえたのはいいのだけど、おかわりを作るにはもう少し時間がかかる。

「ごめんね、今はこれしかないんだ。同じ量を作るにしても40分くらいはかかってしまうんだよ」
「さようか。美味なるものなれば手間がかかるのは当然のこと。致し方あるまい」

 なんか口調が変わっていませんか?

「食事でもしながら待っていてもらえば、もう一杯用意するけど」
「うむ、そのように取り計らってくれ」

 血を飲んだとたんにシエラは生気に満ちて、快活に話すようになってきた。
喋り方はちょっと変だけど……。

「シロー」

 シエラが指を動かしただけで旅行鞄がひとりでに動き、パカリと開く。

「中に青い革袋が入っておろう? 開けてみるがよい」

 カバンの中をのぞくと炊飯ジャーくらいはありそうな大きな革袋がすぐに見つかった。
言われた通り開けてみると、中にはぎっしりと魔石やお金が詰まっている。

「一カ月ほど逗留することに決めたぞ。費用として欲しいだけ持っていくがよい」

 お大尽様かよ!

「うちは1泊2食付きで5000レーメンなんだ。お飲み物は別料金になっていて」
「細かいことはよい。50万でも100万でも好きなだけ持っていけ」

 シエラはうるさそうに手を振ってブラッドソーセージを食べ始めた。

「とりあえず15万レーメン貰っておくね。差額は後で清算するということで」
「好きにいたせ。それよりもこの食事もなかなか美味いぞ」
「ありがとう。それは魔法じゃなくて手作りだけどね」
「ほう。酒が欲しくなる味だ。何か飲みたいのだがどんなものがあるのだ?」

 お酒って、シエラはどう見ても15歳前後の少女にしか見えない。
この世界では未成年の飲酒も許されているのかな?

「飲んでも大丈夫なの? 子どもがお酒を飲むのは……」
「私が子どもとな? クククッ、私はこう見えて42歳じゃ。ヴァンパイアとしては若輩者であるが、シローよりも年上ぞ」

 やっぱり、そっち系の人は若く見えるんだねぇ。
肌なんかぴっちぴちだよ。

「だったら大丈夫だね。ウチにあるのはワイン、ビール、日本酒、ラムくらいかな。これから増やしていく予定ではあるんだけど」
「日本酒とな? 聞いたことのない種類の酒よな」

 さすがのヴァンパイアも異世界の酒は知らないだろう。

「お米から作るお酒だよ。俺の故郷の酒なんだ」
「ふむ、面白そうじゃ。それを一つ貰おうか」

 俺が作ったのは自分の好みの純米酒だ。
火入れをしていない生酒でフルーティーな味わいが特徴だった。

「ゴクウ、貯蔵庫から日本酒のツボを取ってきて」

 ゴクウに用事を言いつける俺を見て、シエラの表情が少しだけ曇った。

「そなたも眷属が使役できるのだな……」
「眷属というか、俺の作り出したゴーレムなんだけどね。シエラの言う眷属ってどんな感じ?」
「ヴァンパイアは目ぼしい者に自らの血を与えて己の眷属にすることができるのだ。そうやって力の一部を与える代わりに忠誠を誓わせる。だが、そのためには直接相手の首筋に噛みつかなくてはならないからのぉ……」

 シエラは生理的に人に噛みつけない。

「じゃあシエラは……」
「うむ、私には眷属は一人もいない……」

 なんか暗い雰囲気になっちゃったな。
少し困っていたところにゴクウが冷えた日本酒を持って戻ってきた。

「ささ、これを飲んで元気を出してよ」

 萩焼に似せて作製したぐい吞みに日本酒を注いでシエラに出してあげた。

「うむ……」

 シエラは浮かない顔つきのまま杯に口をつけたが驚いたように顔をあげる。

「これも美味いぞ。初めて飲む味だ」
「気に入ってもらえてよかった」
「ブラッドソーセージとの相性も悪くない。ブラッド……との相性……。シロー、そちらのグラスに日本酒とやらを注いでくれ」

 シエラは先ほどまで血液が入っていたグラスを指し示す。
上部の血はシエラによって舐めとられていたが、底の方にはまだ血が残っていた。
俺は言われるがままにお酒をそこに注いでやる。

「これはいい……」

 唇の端を舐めながらシエラは呟くが、その様子をみる俺は恐怖と興味がない交ぜになったゾクゾクする感情を抱いた。

「うん、思った通りだ。この飲み方はありだぞ」

 ヴァンパイア用カクテル、ブラッディ―・シエラの誕生だった。
すぐに飲み干してしまったグラスにまた酒を注いであげた。
もう血液は一滴も残っていないけど、風味くらいは香るかもしれない。

「シローを私の眷属に出来たらよかったのにな……」

 それは怖い! 
俺は俺のモノであり、誰かのモノになるのは絶対に嫌だ。

「誰かの眷属になるのはお断りするよ。でも、この宿に泊まっている間はなるべくシエラの望みを叶えてあげるね」

 シエラは少しだけ悲しそうに微笑んでグラスをつまんだ。
そして妖艶に微笑みながら俺の方へと近づいてくる。

「な、なに?」

 もしかして眷属になりたくないっていったから怒っちゃった? 
ジャニスみたいに丸焼きは勘弁してほしい。
俺は椅子に腰かけたまま身動き一つとれずにシエラの一挙手一投足を見守る。
こちらに近づいてきたシエラは突然横の椅子に座り、俺の肩へもたれかかってきた。

「えぇ……?」
「私の望みを叶えてくれるのだろう? 今夜は男の膝で甘えたい気分なのじゃ。少女には年に何回かそういう日がある」

 アンタ、42歳だろ! とツッコミたかったが、もちろん口には出さなかった。
見た目は完全に少女だしね。

「重くはないかえ?」

 俺の顎を指でなぞりながらシエラが聞いてきた。

「いや、ものすごく軽いけど……」
「今夜だけは私を妹のように甘やかしてほしいのじゃ……」

 ごめん、俺にそういう属性はないんだけど……。
いや、これまではなかったんだけど、いいかもしれない!

「えーと、シエラ」
「なんじゃ?」
「もっと寄りかかってもいいよ」
「ん、いいのぉ。長い旅路の果てにこんな楽園を見つけられるとは想像もしていなかったぞよ。シローも少し付き合わぬか?」

 トロンとした目つきでシエラが酒壺を持ち上げた。
たまには俺も飲んじゃおうかな。
グラム様と飲んだときみたいに酔っぱらうのはイヤだからセーブはするけどね。

「このぐい呑みを使ってもいい?」

 最初にシエラが使っていた杯を手に取る。

「うむ、遠慮することはないぞ。さあ飲め」

 シエラがお酌をしてくれたので、俺も冷えた日本酒を飲んだ。
やっぱり美味しい。

「シエラはいろいろなところを旅してきたんだろう?」
「うむ、ここ七年ほどは世界中を旅していたよ」
「だったら、いろいろな話を聞かせてよ。おれ、この世界には来たばかりでほとんど何も知らないんだ」
「この世界に来たばかり?」
「そう! 召喚魔法みたいなもので別の世界から転移させられてきたんだよ」

 あっ、また痛い子をみる視線! 
でもいい加減になれてきたよ。

「みんな信じてくれないんだけど、これは本当の話だよ」
「ほーん……ホジホジ」

 美少女のくせに鼻をほじるなよ……。

「別に信じてくれなくてもいいけどさ……。それで、何か面白い場所とかあった?」
「そうよなぁ……珍しい生き物と言えば、あれは東の小国ゴルバニアのこと」
「ほんほん」
「そこで私はなんと……人狼に出会ったのだ!」

 はぁ?

「なぜに驚かん? あの人狼だぞ?」

 目の前のヴァンパイアに言われてもなぁ。
それを言ったらヴァンパイアだって相当珍しいだろう?

 酔ったヴァンパイアは饒舌で、俺たちの話は尽きなかった。
その日はシエラと夜遅くまでずっと飲んで過ごしてしまったよ。
シエラは七年もの間一人で旅をしていたそうだし、俺も調査隊が去ってからは話し相手がいなかった。
二人とも寂しかったんだと思う。
久しぶりにいっぱい喋れて嬉しかったのだ。

54 シャトー・シロー

 宙に浮かんだ少女は感情に乏しい表情で俺のことを見つめていた。
そういえば、俺は裸じゃないか! 
慌てて大事なところを両手で隠したけど、魔法で無理矢理オッキさせられているからちょっとした苦労を強いられてしまった。
もっとも少女は俺の格好など気にしている様子はない。
よく見ると足首にボクサーパンツが引っ掛かっていたので、横を向いて下着を履きなおした。

「助けてくれたの?」

 少女は無言で頷いた。

「ありがとう。俺はシロー。シロー・サナダ」
「シエラ……」

 呟くように名乗って、少女は俺のいる船の上にふわりと降りてきた。
なんだろうこの子、生気がないというか……人とは違う生き物の気がする。

「あの……あれは?」

 俺は黒焦げになって海に浮かんでいるジャニスを指さした。

「死んだ……」
「そう……なんだ」

 ジャニスの死を知っても悲しい気持ちにはなれない。
ただ、その事実に安心しただけだ。
わざわざ遺体を引き上げることもないだろう。
このままにしておけば、やがて魚たちの餌になる。

 シエラはぼんやりと俺の方を見ているけど、視点はもっとずっと後ろの方にあるようだ。
要するにどこを見ているかわからない子なんだよね。

「シエラはどうしてここに?」
「旅」

 見たところ辺りに船はない。
ということはやっぱり空を飛んで旅をしているのだろうか。

「一人旅なんだね」
「そう。……観光」

 サイトシーイングですか……。
改めてシエラをよく見ると左手には革製の旅行鞄、右手には白い日傘を握っている。
身長は150センチくらいの小さめで髪の毛は見事な銀色。
肌は青みがかっていて透き通るほど白かった。
黒いマントの下には青と白のドレスを着ているけど、そんな厚着をして大丈夫なのか? 
一番印象的なのは瞳の色で限りなく赤に近い茶色をしていた。

「俺はあそこの島で宿屋をやっているんだけど、よかったら寄っていかない? 助けてくれたお礼にご招待したいんだけど」

 シエラはしばらく俺を見つめた後、コクンと小さく頷いた。

 小型船を操るのは大変なので自分のボートに乗り換えて桟橋まで戻ってきた。
その間シエラはボートの舳先(へさき)に座って手を水につけてぼんやりしていた。

「3号、4号、沖に残してきた小型船を回収してきてくれ。それから1号と2号が沈んでいると思うから……」

 シーマたちに指示を出してシエラに向き合う。

「宿はこの森の奥なんだ。俺はこの馬型ゴーレムに乗っていくけど……」

 シエラはふわりと浮き上がり、躊躇いなく俺の前にちょこんと座った。
俺はパンイチの状態なんだけど抵抗はないらしい。

「お腹は空いてる?」
「空いている……」

 だったらすぐに食事を作ってあげるか。
でも、先にシャワーを浴びたいな。
ほら、いろいろとすごいことになっているからさ……。
嫌な記憶は拭えなくても、体くらいは綺麗に洗い流したい。

「だったらすぐにご飯にしてあげるからね。シエラはどんなものが好きかな」
「血」

 チ? 
チってブラッドの血?

「B型がいい……」
「この世界にもABO式があるの!?」
「人間は知らない。ヴァンパイアだけが知っている」

 そ、そうなんですかぁ……。
予めいろいろと確かめておいた方がよさそうな気がするけど、何から質問しようかな。

「えーと、シエラはヴァンパイア?」
「そう」

 やっぱりそうなんだ。
雰囲気が尋常じゃないというか人間離れしていたもんな……。
まあ、それはいい、シエラが何者であれ命の恩人であることには変わりはない。
問題はこの後だ。

「その……シエラも人間の血を吸ったりするのかなぁ……なんて」
「吸わない」

 そうなのっ!? 

「へ、へえ~~」
「皮とか肉が裂ける感触が嫌い プツッってする……」

 言いながらシエラは身震いした。
ああ、だから直接かぶりつかないというわけですか。
噛みつくのも、手や剣で斬るのも、果ては風魔法で切り裂くのも悪寒が走るそうだ。

「そ、それじゃあ、どうやって血を飲むの?」
「コップ……できればジョッキ」

 生中みたい。
グビグビいきたい派なんだ。
でも、それって人間を傷つけないヴァンパイアってことだよな。

「そっか。シエラは人間に優しいヴァンパイアなんだね」
「別に……、殺すことに躊躇はない」

 あれ?

「切り裂くのは苦手だけど、焼いたり凍らせたりは得意」

 そ、そうですか。
俺、大丈夫なのか?

「あの、俺を殺したりとかは?」
「なんで?」
「血を取るために……」

 シエラは首を振った。

「殺すのは簡単だけど、その後で血を絞るのが生理的に無理。鳥肌が立つ」

 みんなそれぞれ悩みがあるんだなぁ……。

「それに……」
「それに?」
「魔法を使える男を初めて見た。興味深い」

 修理の魔法を見られたんだな。
とりあえず俺に興味を持っていて殺意がないなら良しとしよう。
シローの宿へのお客様として全力でもてなすことにした。


 シエラには岩屋でくつろいでもらっている間に、手早く身を清めた。
ジャニスのやつ性病とか持っていないだろうな? 
心配ではあるけど、今は石鹸でよく洗うくらいしか対処法がない。

 さて、シエラに何を出してあげようかな。
やっぱり血はマストなんだろうけど、自分の体を傷つける度胸はない。
創造魔法で作れないかな?

####
作製品目:血液
カテゴリ:薬品作製(Lv.3)
消費MP 179
説明:輸血に使う健康な人間の血液(RH± A,B,AB,Oから任意の血液型が選べる)
作製時間:10ml/10分
####

 100ml作るのに1時間40分、レベル補正をいれても1時間25分か。
そこまで待たせるわけにはいかないから50mlだけ作って食前酒みたいに飲んでもらうか。
確かB型が好きだったんだよな……。
ジョッキでプハぁな感じにはならないけど、今は我慢してもらおう。

 それから倉庫に保存してあるブラッドソーセージを出すのもいいな。
これはひき肉と動物の血液を混ぜて小麦粉などのつなぎを加えて茹でたソーセージだ。
一般的なソーセージよりも黒っぽくて独特の風味がある。
屠殺した家畜を余すところなく使おうという知恵から生まれた食品だね。
パプリカのマリネを作り、ブラッドソーセージに添えて出すことにした。

 調理場から岩屋へ戻ると、シエラは作ったばかりの長椅子の上でくつろいでいた。
黒いコートは脱いであり、ドレス姿で横座りをしている。

「おまたせ。食事の用意ができたからこちらへどうぞ」
「ん」

 シエラの体が音もなく浮き上がり、俺の引いた椅子に降りてきた。

「それでは、最初にこちらをどうぞ」

 小さなグラスをテーブルの上に置くと、ずーーーっと無表情だったシエラの顔が初めて驚きを示した。
小さな脚付きグラスに入った血は食前酒というよりも赤ワインのように見える。

「これは……」
「急だったからこれしか用意できなくてごめんね。だけど、シエラが好きだと言っていたB型を用意したよ」

 シエラは不思議そうに俺を見つめた。

「シローの血?」
「ううん。そうじゃなくて、俺が魔法で作った血なんだ。俺は創造魔法が使えるから」

 シエラはグラスと俺の顔を何度も見比べた。
そしてゆっくりとグラスを手に取り香りを嗅ぐ。

「本当に血だ……」
「毒なんて入ってないから飲んでみて」
「ん」

 シエラはゆっくりと、でも中断することなくグラスを傾けて、グラスの中の血液を全部飲み干した。

「美味しい……」
「本日は希少なRH-をご用意いたしました。なんてね」
「ふふっ……本当に久しぶり……」

 あれ? 
シエラの頬に赤みが差している? 
今までずっと無表情だったのに今度は笑みまで! 
俺を見つめながら真っ赤で長い舌を差し出してきたぞ。 
そして二本の指でつまんだグラスの内側を舐め始めた! 
あの……ものすごくエロイ表情をしていらっしゃるんですけど!?
今迄とのギャップが大きすぎて頭の整理が追いつかない。

「シロー……」
「な、なに?」
「おかわり♡」

 今やシエラは蕩けそうな笑顔を見せている。
シャトー・シローの輸血用血液RH-B 2019年はいたくシエラのお気に召したようだった。

53 太ももと心臓

 それは白昼の悪夢だった。
俺を見つめるジャニスの瞳には喜びと狂気が宿っている。
腰を滑らせて後ろへ逃げようとしたが狭いボートの中では逃げ場がなかった。

「何をしに……」

 かすれる声で尋ねるとジャニスの笑顔は一段と大きくなった。

「お前に会いに来たに決まっているじゃないか! なぁ、この火傷や傷がどうしてついたか聞いておくれよ」

 そんなことは聞かなくても想像がつく。
セシリーはジャニスたちに復讐をすると言って島を発ったのだ。

「セシリーに?」
「そのとおりさ。重力魔法を使える奴なんてどこにもいやしない。あのバカが秘宝のオーブを使ったに決まっているんだ。だけどね、ごらんの通りアイツはヘマをやらかした。アイツは私が死んだと思っているだろうが、私はこの通り生きているのさ」

 ジャニスは咽喉が乾いたのか唇の端をぺろりと舐めて続ける。

「今度はこちらが復讐する番だよ。だけどね、いきなりセシリーを殺すなんてことはしない。最初はアイツの周囲にいる人間から手にかけて、不幸のどん底へ叩き落すところから始めてやるのさ。手始めにアンタから……」
「俺を?」
「調べはついているのさ。アイツが酔っぱらってアンタへの想いを口にしていたのを何人もの人間が聞いているんだ」
「だけど……」

 ジャニスは嬉しそうに身震いした。

「いいねぇ、その顔! 実にそそるよ。安心しな、殺す前にたっぷりと楽しませてやるからさ。アタシが満足するまで何べんでもご奉仕させてやるさ。それで楽しんだ後はアンタのアソコを切り取ってセシリーに送り付けてやるんだ。ご馳走様ってメモを添えてな!」

 とんでもないゲスだ……。

「シーマ、こいつを排除しろ!」

 俺の命令に海の中からシーマが躍り上がり、左右から銛(もり)で攻撃を仕掛けた。
だが、ジャニスは攻撃を軽々とかわし、腰の剣を一閃させて1号の首を切り落としてしまう。
そして返す剣で2号も袈裟懸けに切り倒してしまった。

「ふぅ、いきなり物騒じゃないか。それで、もう終わりなのかい?」

 ワンダーを岸に残してきている俺にはこれ以上打つ手がない。
最初から海に飛び込んでシーマに岸まで連れていってもらった方が正解だったかと後悔したが、それだってうまくいったかどうかは不明だった。
とにかくこの場は逃げるしか……。

「おっと、逃がさないよ」

 素早く動いたジャニスの手が俺の手首を掴み、腹に強烈なパンチを見舞われた。

「少し痛い目を見せた方がよさそうだね。アンタの立場ってやつをわからせてやるよ!」

 さらに二発のパンチを腹に食らって俺は膝をつきそうになるがジャニスはそれを許さず、フラフラの俺をボートから自分の小型船へと投げ飛ばした。

「あっちじゃ狭すぎて楽しめないからね」

 自分も船に飛び移り甲板に横たわる俺を見下ろしてくるジャニス。
ポッポーはまだ無事だから海岸までシーマ3号と4号を呼びにやらせるか。
そして俺は隙を見て海に飛び込む。今はそれが最良の策だろう。

「ん~? まだ諦めていない顔だね……ΔΓ§Ξ」

 短い詠唱が終わるとジャニスの手から火球が飛び出し、ボートのへりにいたポッポーが燃え上がった。ウッドゴーレムであるポッポーは消し炭のようになって海中へと沈んでしまう。

「念には念を入れておかないと……。さて、どうしようかね。泣いて許しを乞うまで殴り続けるというのも手だけど、それはいつでもできる」

 言いながらジャニスはポケットから出してきた革ひもで俺の手首をマストに縛り付けていく。

「あんた、まだ抵抗を諦めていないんだろう? 従順にさせてから好きなように弄ぶのも好きなんだけど、諦めきれていない男を無理やり犯すのもたまらないんだよね」

 言うことが一々最低だった。
顎を掴まれた状態で顔を舐められたが、肌の上にナメクジが這っているような感触に悪寒が走った。

「さてと」

 ジャニスは乱暴に俺のシャツを引きちぎっていく。
異世界から持ち込んだ数少ない思い出の品がビリビリだよ。
チノパンも脱がされて、最後に残ったボクサーパンツも外された。
しかもボクサーパンツは全部脱がさずに足首に引っ掛けた状態のまま。
コイツ……。

「本当に綺麗な肌をしているんだねぇ。殺すのが惜しくなってくるよ。いっそ奴隷として連れていこうかしら」

 勝手なことをほざきながらジャニスは自分も身につけている服を脱いでいった。

「どうだい? いい体だろう?」
「セシリーの方が綺麗だ」

 俺にとってはこの言葉が最大の抵抗だった。

「ふん、すぐにヒーヒー言わせてやるからな。その後はじっくり矯正して、自分からおねだりができるように躾けてやる」

 ジャニスは俺の頭を掴み、魔法を送り込んでくる。
俺の意思とは関係なくオッキするリトルジョー。
いつもながら本当に理不尽な話だと思う。
ジャニスはこちらに見せつけるように、ゆっくりと腰を落としてきた。

「どうだい? 気持ちいいだろう?」
「別に……」

 これは本心だった。
ただ俺は無感動に目の前の光景を眺めるだけだったんだ。
もしも俺がこの世界の男だったり、元居た世界の女だったら絶望していたのかもしれない。
だけど、俺は自分でもびっくりするくらいに無感動だった。
自分の中で何かが壊れてしまったのかな? 
レイプされても男の俺には妊娠の心配はない。
こういう肉体的構造差が男女の精神のありようを変えているのだろうか? 
だとしたら性差を越えた男女の相互理解って難しいな。
だけど、暴力に屈して相手の言うことをきかざるを得ないという屈辱は男女共通の痛みかもしれない。
性行為はやっぱり当人同士の約束事の上で成り立たなければならないと思う。
そして、そこには合意と相手を思いやる優しさが必要だ。
自分の腰を激しく打ち付けてくるジャニスを見ながらそんなことを考えていた。

「やだねぇ、もう諦めちまったのかい? もう少し抗う様子を見せてくれないと……んっ……こっちが燃えないじゃないか」

 ジャニスは動きを止めずに俺に話しかけてくる。

「それとも忘れちまったのかな? ことが終わったら、あんたのアソコは切り取られてしまうんだよ」

 腰に差したナイフを抜き取り、ジャニスは見せつけるようにその刃を舐め揚げた。
そうだった! 安穏と構えている暇はないのだ。

「そうそう! その表情だよ! 自分の立場を思い出したようだね……んっ……。さあ、頑張るんだよ。私がお前を気に入れば、奴隷として生かしておく道もあるんだからさ」

 ペタペタとナイフで俺の頬を叩きながら、ジャニスは満足そうに笑っている。
しかしどうやって脱出すればいいんだ? 
手首は頭の上でマストに縛り付けられている状態だ。
よしんばこの革紐を何とかできたとしても、身体的能力ではとてもジャニスには構わない。
その時、俺は目の前でヒラヒラ輝くナイフに小さな傷を見つけていた。
傷と言ってもひっかき傷くらいの目立たないものだったし、道具として使う分には何の影響もないほどのわずかなものだ。
だけど、その傷が俺に啓示をもたらしてくれた。

####

修理対象:ナイフ
消費MP:12
修理時間:4秒

####

 「修理」の魔法は手で触れなくても視界にあれば発動できる。
修理対象をナイフに定めて魔法を発動すると、ジャニスの手の中にあったナイフは光の粒になって消え去ってしまった。

「えっ? な、なにが起こった?」

 握っていたナイフが突然消えてしまったのでジャニスは相当焦っているようだ。
あまりの驚きにそれまで激しく動いていた腰の動きも止まっている。

ポーン♪
ナイフの修理が完了しました。出現場所を指定してください。

 最初にジャニスの心臓の辺りを見つめたが、俺は考えを変えて大股を開いている内ももの辺りに視線を逸らした。
そしてその場所をナイフの出現場所に選ぶ。

「ギャッ‼」

 鋭い悲鳴を上げながら腰の上にいたジャニスが飛びのいた。
見ればピカピカのナイフがジャニスの太ももに深々と刺さっており、大量の血が流れだしている。
のたうち回るジャニスを横目に、今度は自分を縛り付けている革紐を修理対象に選んで消した。

「貴様、何をした!?」

 憎悪を浮かべるジャニスが剣を構えてこちらに牙をむいた。
むき出しの太ももにはナイフが刺さったままだが出血は減っている気がする。
きっと身体強化魔法を使ったのだろう。

「……」

 質問には答えずにジャニスの剣を修理対象に指定する。

####

修理対象:ショートソード
消費MP:18
修理時間:8秒

####

「くそっ!」

 再び光の粒となって消えた剣に狼狽しながらもジャニスは俺に飛びかかってきた。
まるでスローモーションを見ているようだった。
狂気に歪んだジャニスが俺に迫ってくるけど、修理と出現は追い付かない。
おそらくジャニスは俺の息の根を止めようとしている。
先ほどのナイフを太ももではなく心臓の位置に出現させていれば……、そんなことを考えたけど、やっぱり俺に人殺しは無理だったとも思う。
それが俺なのだから仕方がない。

(短い人生だったな)

 つまらない感想が湧いたその瞬間だった。

ブゥオン‼

 突然、飛来した大きな火球がジャニスを包み海の上へと吹き飛ばしていた。
いったい何が起こった? 
慌てて起き上がり、火球が飛んできた方向を眺める。
そこには、この真夏に真っ黒なコートを羽織り、汗一つ掻いていない青白い顔をした少女がプカプカと宙に浮かんでいた。

52 闖入者

 調査隊がモンテ・クリス島を後にして三週間が経過していた。
一時の感傷から抜け出した俺は再び無人島ライフを楽しんでいる。
だけどやっぱり人恋しくはあるな。
チャラ女のリーアンでもいいから、誰かと話したい気分にもなっていた。

 グラム様はダンジョンを一般開放するように上申すると言っていた。
もしその案が通れば、この島に冒険者が大勢やってくるだろう。
だったら受け入れの準備をしておいた方がいいと思う。
好みの女の子の前ではいい恰好をしたいし、もしかしたら深い関係になる相手だっているかもしれない。
 とりあえず岩屋の改造から始めようか。
もう少しお洒落で豪華な感じの方が喜ばれそうだもんな。
目指すは南国のリゾートホテルみたいなやつだ。
どうせ時間はたっぷりあるのだ、しばらくは道具作製の日々を過ごそうと思う。

 ゴーレム作製のレベルも上がったんだけど、残念ながら新型のゴーレムは作れるようにならなかった。
その代り作成スピードのボーナスがついた。
これはこれで重宝するのでよかったと思っている。

####

創造魔法 Lv.12 (全カテゴリの製作時間が10%減少 クオリティアップ)
MP 1736/1736
食料作製Lv.9 (作製時間17%減少)
道具作製Lv.8 (作成時間15%減少)
武器作製Lv.2 (作成時間3%減少)
素材作製Lv.7 (作製時間13%減少)
ゴーレム作製Lv.8(作製時間20%減少)
薬品作製Lv.3 (作製時間5%減少)
修理Lv.3 (作製時間5%減少)
魔道具作製Lv.3 (作製時間5%減少)
その他――

####

 俺のステータスはこんな感じになっている。
レベルもかなり上がっただろ? 
パンなんてグラム様達の分を含めてしょっちゅう作っていたから、個別レベルが最大値に達しているぞ。

####
作製品目:パン(Lv.10 最大)
カテゴリ:食料作製(Lv.9)
消費MP 1
説明:この世界の主食。主食ゆえに作成ボーナスが初めからついている。
作製時間:1分
####

 パンの作製時間は当初の60分から1分まで短縮されたけど、さらに食料作成のレベル補正と創造魔法のレベル補正の影響も受けるので実際は44秒くらいで出来てしまうのだ。
創造魔法のレベルボーナスで作製物のクオリティもあがり、味もさらに美味しくなっている。
これならどこへ行っても評判のパン屋さんになれるだろう。

 薬品作製がLV.4になってお酒の作製もできるようになった。
さっそく日本酒を作ってみたよ。
俺はあんまり飲まないけど、和食を作る時にお酒は欠かせないからね。
時間はかかったけど鰹節や昆布も食品作製で作ってある。
今夜は白身魚の昆布締めで冷酒を飲みたい気分になってきた。

「よし、魚を釣りに行くか!」

 どんな魚が釣り上がるかはわからないけど、他にやることもない。
道具を掴んでシルバーの背中へと飛び乗った。

 桟橋でボートに乗り込みシーマ1号と2号にけん引してもらった。
シーマは4号までいるけど全員を連れていくことはない。
動けばそれだけ魔力を消費してしまうので3号と4号はお留守番だ。
大物を釣るなら入り江から出た方がいいので、少し沖合のところまでいった。

「オッケー、シーマ! このあたりでいいよ」

 岸から300mくらいのポイントで船を停め、持ってきた仕掛けに疑似餌をつけて海中へと垂らした。
魚を獲るだけならシーマに任せた方が早いから、釣りは完全に俺の趣味でやっている。
転移前は釣りなんて一度もやったことなくて、接待釣りにでたあの日が初めてだったのだから皮肉なものだ。
ここでは時間が非常にゆっくりと流れるので釣りはいい暇つぶしになった。

 暇つぶしと言えば、グラム様をはじめ士官たちが読み終わった本を置いていってくれたのが役に立っている。
毎日読んでいたので、それらもあらかた読み終わってしまったけどね。
この世界の文化や思想が少しはわかったのでいい経験になった。
ラインナップは幅広く、聖典、ロマンス、歴史書や戦記、旅行書などなど。
もちろんエロ本も数冊あった。
読んでみたけど感想は微妙だ。
イチャラブ物は楽しく読んだけど、凌辱系や、調教物にはかなり引いた。
痛そうなのは苦手なのだ。
あと、ユリ系みたいなホモ系。
同性愛者を差別することはないけど、俺には無理だ。
特に体のいろんなところを絡ませるのがちょっと……。
それから、一人の女主人公に男三人がご奉仕する話もきつかった。
男同士での絡みを強要されているところが辛い。
もっとも、これらの話もこの世界の性的なファンタジーなのだろう。
士官たちは俺に対してそんなことを求めていたわけじゃない。
……求めていたわけじゃないよな?

 竿に当りはこなかったけど気にもならなかった。
いざとなればシーマたちが魚を獲ってきてくれるから切羽詰まっていないのだ。
日傘を広げて俺はボートの中で横たわった。
気温は高いけど、日陰に入れば湿度は低いので過ごしやすい。
ボートに屋根をつけるのもいいな。
安定するように双胴船に改造するのもいいだろう。
そうしたら他のゴーレムたちを運ぶこともできるし……。
そんなことを考えながらいつしか俺は眠りに落ちていた。

 おそらく穏やかな島での日々が油断を呼んでいたのだと思う。
この世界へ来たばかりの頃の緊張感を完全に俺は失っていた。
モンテ・クリス島は安全であるという誤った認識がいつの間にか心を侵食していたのだ。

「おい」

 誰かが俺の体を押している。

「起きろ」

 誰だろう? 
士官の一人? 
俺はゆっくりと微睡(まどろみ)から覚めていった。

「……誰?」

 いつの間にか俺のボートに小型船が横付けされており、誰かがこちらへ乗り込んでいた。
思わずサングラスを外したけど逆光が眩しくて却って侵入者の顔は見えなかった。

「久しぶりだねぇ。会いたかったよ」

 誰だろう? 
女性の声だ。
ずっと前にこの声は聞いたことがある気がするけど……。
ぼやけていた視界がはっきりしてくると、目の前の女の人の輪郭が少しずつはっきりしてきた。
女の人は顔にスカーフを巻いていて、誰だかはよくわからない。

「え、と……どちら様?」
「憶えていないのかい? 悲しいねぇ。アンタの大事な恋人の知り合いさ」

 恋人? 
グラム様の……それとも、クリス様の知り合い?

「ククク、本当に私がわからないようだね。これでどうだい?」

 女の人はそう言って、顔に撒いたスカーフを外した。
俺はあまりの衝撃に息を飲む。
だって、顔の三分の一ほどが火傷で赤くただれていたからだ。
髪の毛も一部が焦げていて頭皮が赤黒くむき出しになっていた。

「ほら、よく見てごらん。火傷のある醜い方じゃない。綺麗なままの方をさ」

 やけに白い肌を見つめて記憶の糸を手繰ってみると、やがて一人の人物に思い至った。

「あっ、アンタはセシリーと一緒にいた……」
「ようやく思い出してもらえたようだね。そうだよ。副船長をやっていたジャニスさ」

 ジャニスの口角がニィっと持ち上がり、表情が凶悪に歪んだ。

51 浜辺にて君を見送る

 それは二日後の早朝だった。
夜明けとともに起きだした俺が自室で髭をそっていたときのことだ。

ポーン♪
エクソシアスの剣の修理が完了いたしました。出現場所を指定してください。

 ついに終わったか。
すぐにでも出現させたかったけど、グラム様にもお披露目をしたかったので、少しだけ保留にして身繕いを急いだ。
グラム様は規則正しい生活を送るタイプだからもう起きているはずだ。
最近はかなり夜更かしになっているけど……。
昨晩もなかなか寝かせてもらえなかった。

 部屋のドアをノックするとすぐに返事があった。

「シローです。例の物の修理が完了しましたのでお見せしに来ました」

 部屋に招き入れられて気づいたのだが、室内の荷物はだいぶ整理されていた。
それはグラム様の出立の時期が迫っている証拠でもあるので少しだけ物悲しくなった。

「おはよう、シロー。それで剣はどこに?」
「今から出現させます。テーブルの上がいいでしょう」

 数枚の書類とペンだけが置かれたテーブル。
数日前までは製図用の定規やインク壺、白紙の紙の束、封筒、革表紙の日記帳、そんなものが置かれていたのに……。
テーブルから物がなくなるように明後日にはグラム様もこの島からいなくなるのだ。
胸を締め付ける苦しさを感じながら、エクソシアスの剣を出現させた。

 まばゆい光を放ちながら剣は出現した。
白銀の刀身、白亜の柄には金の装飾が施されている。
そして何より、並々ならぬ魔力の波動が剣から伝わってくるのだ。

「すごい……」

 感嘆するグラム様を見てこれを修理出来てよかったという実感がこみ上げてきた。

「シロー、本当に持っていってしまってよいのか?」
「かまいません。俺が持っていても役に立たないでしょう」

 これを使いこなすには相当な魔力が必要だろう。
俺が使えるのは創造魔法だけで、武器の性能を引き出すやり方なんて知らない。

「私はこれを帝国に報告する気でいるが……」
「グラム様のお好きなように」

 俺も真面目なグラム様が財宝を着服するなんて思っていないよ。

「そうか……ありがとう」

 グラム様は俺を抱きしめた。
少しだけだけど大胆になってきたじゃないか。
その程度の自信はつけてくれたんだな。

「グラム様が喜んでくださるのなら俺も嬉しいです」
「シロー……」

 グラム様が俺の手を握りしめた。

「シロー、やっぱり私と一緒にルルサンジオンへ行こう。暮らしの面倒は私が見るから」

 ここ数日で何度か交わされた会話をグラム様はまた蒸し返そうとしていた。

「そのことについては何度も話し合ったではないですか。部隊の長が規則を破ってどうするのですか? 俺は密航なんて嫌ですよ。それに妾になるのも嫌です。正室となる方の幸せを踏みにじってまで自分が幸せになろうなんて考えられません」

 グラム様は貴族だ。
身分的に俺とは結婚なんてできない。

「貴方の夫となる人を愛してあげてください」
「もう他の男など……」

 時は流れる。
良くも悪くも記憶は薄れ、いつかは不確かな、でも美しい想い出になるのだ。
その思い出の一つ一つが人生の慰めになるのだろう。
大粒の涙がグラム様の両目から零れた。

「それなら私がここに残る……」

 駄々っ子のようにイヤイヤをするグラム様を今度は俺が抱きしめなくてはならなかった。

「そんなことをしたら任務放棄で罰せられてしまいますよ」
「……」
「グラム様と過ごした日々は私にとって掛け替えのない宝物になりました。人間にとって幸福な想い出こそ、何よりも大切なものです。俺はグラム様と出会えて幸せでした」

 グラム様はしばらく俺の胸の中でじっとして、それからおもむろに体を離した。

「見苦しいところを見せた、すまん」
「朝食にしましょう。今朝はグラム様のお好きなホットサンドにしましょうね」

 そう言うとグラム様は少しだけ笑顔を見せてくれた。

 エクソシアスの剣を修理したせいで俺のMPはほぼ空っぽだ。
回復には20時間ほどかかる。
グラム様との別れを前に、心の方もぽっかりと穴が空いた気分だ。
作ったばかりのサングラスをかけて、海辺で釣り糸を垂れた。
本気で何かを釣り上げる気はない。
ただ磯の岩場に座って海の移ろいゆく様を眺めていた。
そんな俺をシーマたちがまん丸い目で眺めている。
白く泡立つ波、エメラルドグリーンの海、青い空、世界は悲しいくらいに穏やかで、美しかった。

 そして、あっという間に出立の日はやってきた。
桟橋で士官の一人一人と別れの挨拶を交わした。
中には感極まってハグをしてくる士官もいたけど、今日だけは特別に抱きしめ返した。
レインさんには俺の方からハグした。

「男将、本当に世話になった」
「こちらこそ。どうぞお体に気を付けて」

 レインさんとの挨拶が済むと、最後にグラム様と向き合った。
本当の別れは昨晩の内に済ませてあるけど、これが最後かと思うと名状しがたい感情が湧き上がる。

「グラム様……」
「うん……また会おう!」

 朗らかにそう言ってのけたグラム様が少しだけ逞しくなったような気がした。

「はい」

  俺も笑顔でこたえることができたよ。

 遠ざかるボートに大きく手を振る。
グラム様は口元に笑みを浮かべていたけど、かなり無理をしていたんだろうな。
俺は道具作製で新しいサングラスをセットした。
だって前に作ったものはグラム様にあげてしまったから。
目を真っ赤に腫らしていたから、かけてあげざるを得なかったんだよ。
あんな姿を部下の前にさらすわけにはいかないからね。

「さよなら」

 言葉にした瞬間に涙が溢れた。
でも大丈夫、ここには俺とゴーレムしかいないから涙を隠す必要もない。
白い砂浜に座って船が遠ざかる姿を見ながら思う存分、泣くことができた。


 宿泊客がいなくなると、急にやることがなくなってしまった。
今後のことはどうなるかわからないが、また連絡員がワイバーンで来ることになるそうだ。
地理に明るいミラノ隊長やリーアン、ルイスちゃんが来るだろうとグラム様は言っていた。

 抜け殻のようになってしまった俺だけど、予定通りシーマ4号を作製してゴーレム作製のレベルも上がり、新しいゴーレムを作れるようになった。

####
作製品目:シリコン・ゴーレム スネーク型(Lv.1)
カテゴリ:ゴーレム作製(Lv.6)
消費MP 292
説明:蛇型のゴーレム。畑を荒らすネズミなどの害獣駆除に役立つ。狭い場所にも入れるので人知れずアイテム等を盗み出すことにも長けている。
作製時間:52時間
####

 シリコン素材のゴーレムなんていうのもあるんだね。
畑の拡充は順調に進んでいるけど、ネズミには困っていたところだ。
ゴクウやワンダーを動員して蹴散らしていたけど、限界があった。
スネークシリーズを五体くらい作れば効果は大きそうだな。
スネーク型の名前はニョロにして、さっそくニョロ1号の作製をセットした。

50 プレゼント

 夕飯のデザートにはクレームブリュレと水出しアイスコーヒーを出した。
グラム様はブリュレがお好きなようで、嬉しそうに表面のカラメルを割っている。
本来なら焼きあがったブリュレに粉糖などをふりかけてバーナーで焼き焦がすのだが、この島にバーナーなどはない。
だから士官の一人に極小火力の火炎魔法を使ってもらってカラメルを焼いた。
さすがは細かい魔力操作には定評のあるエレンさんだ。
絶妙な焼き加減だったよ。

「おいしい……」

 グラム様は本当にうれしそうにブリュレを食べていた。

「お替りもありますからね」
「うん……いただこう」

 恥ずかしそうに頷くグラム様もとても可愛い。
そうだ、今のうちに第六位階の天使について聞いておこうかな。

「そうそう、ちょっとお聞きしたいんですが、第六位階の天使様って……どんな方なのですか?」

 グラム様はブリュレをすくうスプーンの手を止めずに答えてくれる。

「第六位階というとエクソシアス様か? エクソシアス様は聖騎士団が信奉する守護天使だな。邪悪に対抗する者に加護を授けてくださる天使だ」

 ほほう、なんだか強そうな予感。

「強力な光系統の呪文といえば、エクソシアス様のお力を身に宿して使うものが多いのだ。中でも天上の破光という呪文は高位の聖職者や聖騎士のみが使える呪文で、数百体ものアンデッドを一撃のもとに葬り去ると言われている」

 第六位階といってもさすがは天使なのね。

「もしかして、エクソシアス様は剣なんてもってたりしますか?」

 ここで、初めてグラム様はブリュレを食べる手を止めた。

「剣? 確かにどの宗教画をみてもエクソシアス様の右手には光の剣が握られているな。そうそう、天使長ラバーユから授けられた破邪の剣と伝えられている」

 やべっ。
これはもう間違いなさそうじゃね?

「その剣が人間界にあったりなんてすることは……」
「シローは詳しいな。聖騎士ウンベルトが所持していたなんていう伝説もあるけど、それこそお伽噺のレベルだ。真偽のほどは定かじゃない」

 お伽噺じゃなくて事実みたいです。

「もしもですよ、もしもその剣が見つかったらどうなります?」
「それは……大騒ぎになると思う。かなりの力を秘めた聖剣の一振りだからね。……男将? 何かあったのか?」
「えーとですね……」

 今は食事の最中なので落ち着かない。
それにことは俺の魔法に関係することだから、あまりたくさんの人の前で話したくはなかった。

「何でもないのです。それよりも基礎工事の作業報酬について確認したいことがあるので、あとでお時間をいただけませんか?」

 いつものように超テキトーに誤魔化しておいた。


 食事がすんでグラム様だけが食堂に残った。

「それで、作業報酬についての確認というのはどういうこと?」
「それはグラム様と話すための口実です」

 あっさりとネタ晴らしをして、壁に立てかけておいたボロボロの剣を持ち上げた。

「お話はこれについてなんです」
「その錆びた剣がどうしたの?」
「エクソシアスの剣です」
「……」

 あ~、久しぶりです。
その痛い子を見るような視線。

「信じられませんか?」
「いくら男将の言うことでも……」

 グラム様は判断がつかないようだ。
どうせなら剣を修理した状態で見せた方が良かったな。

「昨日、俺の魔法については話しましたよね」
「うん……」

 休憩時のピロートークとして俺の能力のあらましは伝えてある。
ただ、実際に魔法を使って見せたわけではないのでグラム様は半信半疑のままだ。

「なんでしたら俺が修理しましょうか?」
「できるの?」
「32時間いただければね」

 グラム様の出発までには間に合うな。

「わかった、男将を信じるからやってみてくれ。だけど、なぜだ?」

 なぜとは何だろう?

「もしそれが本当にエクソシアスの剣だとして、どうしてそれを私に教えた?」

 そういうことか。

「俺は剣なんて持っていても仕方がありませんからね。戦闘は苦手なんです。金に換えるという手もあるのですが、この島に住んでいる限りはそれほど必要ないでしょう? でも、グラム様だったら使えそうだし、帝国へ提出するにしても手柄にはなりそうじゃないですか」
「それはそうだけど……」

 金なんて創造魔法があればいくらでも稼げるし、武器だって作ろうと思えば作れちゃうんじゃないの? 
作る気ないけど。

「それにね、この剣は兵隊さんが運び出していたゴミの中に混じっていたんですよ。だから、正確に言うと俺が見つけたわけじゃないですし」

 そう言うと、グラム様は苦笑していた。

「男将は正直だな……」

 正直というか興味がないだけだ。

「じゃあ、修理を開始しますね」
「うん」

 魔法を発動してエクソシアスの剣の修理を開始すると、ボロボロの剣は光の粒に分解されて空中を揺らめき始める。
やがてフワフワしていた光の球は一点に集中してまばゆく輝き、その姿を眩(くら)ませた。

「消えた!」

 突然のことにグラム様は口を開けたままで俺を見つめていた。

「ねっ、俺も魔法を使えたでしょう」
「うん……。信じてはいたけど……」

 やっぱり、男が魔法を使えるってとんでもなくあり得ないことなんだな。

「さっきも言いましたけど修理は32時間後には完了しますからね」
「剣はどこへいったの?」

 それは俺にもよくわからない。
ただ創造魔法と同じで任意の場所に出現させることができる。
俺の視線が届くところで半径10メートル以内ならどこでも大丈夫だ。

「修理が済めばお好きなところへ出してあげられますよ。あ、でもダンジョンの中は勘弁してくださいね。俺もいかないといけなくなるので」
「それは構わない。私が見つけたことにしてしまうからこの部屋で出現させてくれれば問題ないよ。それにしてもエクソシアスの剣か……」
「やっぱりまだ信じていないんでしょう?」

 グラム様は気まずそうにしている。

「実物を見るまではな……」

 まあ、それはそうだろう。
天使の剣だなんて荒唐無稽な話ではある。

「それでは……修理をよろしく頼む……」
「お任せください」
「うん……」

なんとなく会話が途切れてしまって気まずい雰囲気が部屋の中に流れた。

「それでは……あ~、おやすみ……」

まったく、グラム様は……。

「で?」
「で、とは?」
「今夜はどうされるんですか? 来ていただけるのならお風呂に入って部屋で待っていますよ」
「あ……うん……いく……」

 やったぁ! 
今夜もグラム様とパーリーナイトだ! 
だけど、毎日シェリルさんに回復魔法をかけてもらうのは悪いもんな。

「でも、あんまり遅くまではダメですからね。グラム様だって明日も調査なんだから」
「うん。その……昨晩はすまん。自分を抑えきれなかった」

 小さな体をさらに縮こまらせてしまったグラム様が愛おしかった。
戸口を確認してから俺はグラム様の頬に口づけした。

「悪い貴族様ですね。でも、特別に許してあげます、俺も気持ちよかったから」
「男将……」
「グラム様、二人でいる時はシローと呼ぶ約束でしたよ」
「そ、そうだった」

 グラム様が帝都へ帰るまであと四日か……。
そして、もう二度と会えないかもしれない人なんだ。
期限付きの恋人に送るにはエクソシアスの剣はちょうどよいプレゼントなのかもしれない。

49 ゴミの中で見つけたもの

 耳元で異音がすると思ったら、腕時計のアラームが鳴っていた。
眠る前にかろうじてセットしたのが功を奏したようだ。
もしもこれがなかったら確実に寝坊をしていたと思う。
時刻は朝の五時。
三時間くらいは眠れたかな? 
昨晩はかなり遅くまで頑張ったから、まだ頭がぼんやりとしている。
自分から誘っておいてなんだけど、グラム様の性欲は凄かった。
たとえて言うとね、中学三年生くらいの男子みたいだったよ。
ぶっちゃけ地球だと、男はのべつ幕なしで欲情しているよね? 
この世界ではそれが逆になって、女の人がそういう状態のようだ。
しかも、この世界の女の人は初めてでも痛くないんだって。
びっくりしてしまいましたよ。
じっさいグラム様は最初から元気いっぱいだったし……。
やっぱり、精神だけでなく肉体の構造も地球の人とはちょっと違うみたいだね。
まあ、俺の知っている地球人の女の子は一人だけだから比べるのは難しいんだけどさ。
ぼんやりとして頭が重いけど宿泊客の朝食を作らなくてはならない。
ゴクウたちに手を引いてもらって、俺は何とかベッドから起き上がった。
魔法の力を借りたとはいえ、七回はやっぱりきつすぎた。

 あまりの疲労にシャワーも浴びずに寝てしまったから、水浴びをしておこうと思って川へおりていったらグラム様とかち合ってしまった。

「おはようございます」

 ちょうどシャツを脱ぎかけていたグラム様に声をかけたらいきなり挙動不審になっていた。

「お、お、おは、おはよう」

 これじゃあ昨晩のことが一発でみんなにばれちゃうよ。

「グラム様、落ち着いてください。そんな態度だと俺たちのことが部隊中に広がってしまいますよ」
「う、うん。スーハー、スーハー、スーハー……」

 深呼吸で平静を保とうとしているようだ。

「グラム様も水浴びですか?」
「うん。寝不足の頭をスッキリさせようと思って……」

 お互い身体の方はスッキリしているもんね。
賢者モードからは時間が経ち過ぎているけど、修行僧レベルくらいにはあるはずだ。

「俺もです。自分は向こうで浴びてきますね」

 小さく手を振って板塀のある俺専用の風呂の方へ入った。
一緒に水浴びをしてもいいんだけど、他の人に見つかったら大変なことになるからね。
中に入るときにチラリと振り向くとグラム様がシャツを脱いだところだった。

「……」

 あんなにしても、やっぱり気になるもんなんだよな……。


 朝食のメニューは毎日それほど変わり映えしない。
卵料理と野菜料理、キノコのソテー、パン、飲み物くらいのものだ。
スープをつけたこともあったけど、最近はやめてしまった。
季節は夏に向かっているらしく連日最高気温を更新しているような陽気だった。

「男将、少し顔色が悪いんじゃないか?」

 シェリルさんが俺の様子を気にかけてくれた。
さすがは治癒士だ、人の体の状態をよく見ている。

「昨晩はちょっと寝付けなくて、寝不足なんですよ」
「それはいかんな。こっちに来てごらん。回復魔法をかけてあげるから」
「今日も調査があるのでしょう? こんなところで魔力を消費するのはまずくないですか?」
「消費魔力の少ない魔法だから大丈夫よ」

 それならば治療してもらおうかな。

「私に背中を向けて座って」

 言われたとおりにすると、背中に手を当てられ、そこから体の中に水が流れ込んでくるような感覚がした。

「ああ、気持ちいイイです……」
「だろう? ゆっくりとやるから動かないでね」

 霧が晴れていくように頭の中がクリアになり、体も軽くなった気がしてくる。
まったく無かった食欲も出てきたぞ。

「すっごく楽になりました!」
「それは、よかった。また何かあったら言ってね」

 みんなが出かけたら昼寝でもしようと思ったけど、これなら問題なく活動できそうだ。
今日もダンジョンの方を見学してみようかな。

 朝食の後片付けをしていたら三体目のシーマができ上った。
マーメード型は陸上だと動けなくなってしまうから出現場所を海にしてやらないといけない。

「ゴクウたちはいつも通りに洗い物と掃除を頼むね。ワンダーとポッポーは俺についてきて」

 少し運動不足だから海岸までは徒歩で行くことにした。
木陰の下を選びながら歩いて三日月海岸までやってくると急に視界が大きく開けた。
強い日差しに目が焼けてしまいそうになる。
今度はサングラスを作製しないとダメだな。
シーマ3号を出現させたらさっそくセットしておこう。

 海辺まで出て、シーマ3号を海中に出現させた。
まん丸い目と口をしたカッパがぷかぷかと三体も浮かんでいる姿はちょっと面白い。
久しぶりにボートに乗りたい気分になってきた。
シーマたちが上手に動かせられるか確認をした方がいいだろう。

「最初はゆっくりやってみよう。1号は真後ろから、2号と3号は左右について」

 波の少ない入り江の中で練習を開始した。
トライ&エラーを繰り返すことでシーマたちもだんだんとコツを飲み込んできたようだ。
だけど直接手で押すよりも、馬車や犬ぞりのように引っ張る方がいいのかもしれない。
次にやるときはロープやハーネスを用意してみるか。

「シーマたちも慣れてきたみたいだし、入り江から出てダンジョンの方へ行ってみようか。ポッポー、ワンダーたちにダンジョンの方へ来るように伝えてきて」

 転覆の恐れがあったのでワンダーたちは岸に残してきたのだ。
ゴーレム同士は意思の疎通ができるようで、ポッポーはメッセンジャーとして役に立つ。
海岸へ飛んでいくポッポーを見送ってから、進路をダンジョン方面へと向けた。

 入り江を出てもシーマたちは安定した運航を続け、ほどなくダンジョン入口へとつながる洞窟へと到着した。
陸へ上がるとワンダーたちはもう到着していて、すぐに俺の側へ駆け寄ってくる。

「桟橋にボートを戻しておいてね」

 島の道路網はまだまだ整備されていないから、シーマのボートを使う方が移動時間が少なくて済む場合も多そうだ。
これからも積極的に活用していくとしよう。
他のゴーレムたちが乗っても転覆の恐れの少ないもう少し大きな船が欲しくなってきた。
作成自体は可能なので、考慮すべきはタイミングだけだ。
調査隊が帰還したら考えてみるとしよう。

 地上に出ると、兵隊さんたちが手押し車を押しながらダンジョンから出てくるところだった。

「ご苦労様です。財宝ですか?」
「違う、違う、これはゴミばっかりよ」

 ごみ? 
よく見ると中身はボロボロの装備品ばかりだ。

「ほんとだ。なんですかこれ?」
「スケルトンの群れに遭遇してね。奴らの装備は古くて使い物にならないモノばかりなんだけど、たまにお宝が混じっていることがあるから確認のために持ってきたの」

 スケルトンというのはかつての戦士や騎士の死体がモンスター化したものだから、生前の装備がそのまま残されるそうだ。
だから、ごく稀にだけど金や宝石をあしらった剣や鎧なんかも見つかるらしい。

「金は腐食しないから、ちょっと見ればすぐに確認できるのよねぇ」

 だけどパッと見た感じ、手押し車の中にはろくなものがないぞ。

「今回は外れっぽいですね」
「ああ、こんなガラクタばかりさ」

 兵士はボロボロに錆びた剣を俺にプラプラ振って見せてくれた。
かつては名刀だったかもしれないけど、今は全体的に焦げ茶色で光る部分は一つもない。
でも、これだって鉄の塊だよな。
だったら道具作製時の素材にはなるだろう。
一から作るよりはずっと時間が短縮できる。

「兵隊さん、その錆びた剣を貰ってもいいかな?」
「こいつをかい? まあ、こんなボロなら誰も文句なんて言わないか」

 兵士が手渡してくれた剣は思っていたよりもずっと重かった。

「うわわ」
「ははは、お兄ちゃんが振り回すにはちょっと重たすぎるようだね。気をつけて持って帰るんだよ」
「ありがとう。お仕事頑張ってね」

 鉄がこれだけあれば、しばらくは素材に困ることはない。
それにしても汚い剣だね。
……だけど握りしめると何故だか手に馴染むような気がする。
元はどんな剣だったのだろう? 
そこで俺はいいことを思いついた。
「修理」の魔法を使えば対象がどんな感じの物かおおよその見当はつく。
どれどれ……。

####

修理対象:エクスシアスの剣
説明:第六位階の天使、エクスシアスが所持していた剣と伝えられる。光魔法を刀身に宿しすべての悪霊を打ち払う力を持つ。
消費MP:1022
修理時間:32時間

####

 ……。
これ……お宝なんじゃね? 
だって天使の持っていた剣だぜ。
でも、第六位階かぁ……どの程度なのかさっぱりわからない。
四天王最弱的な立ち位置だと大したことはなさそうな気もするけど……。
消費MPはギリギリいける。
ただ、修理時間はかなり長いな。
「修理」の場合はあまり時間がかからないはずなのだけど、これはかなり長い。
もしかして宝剣だったりして? 
一人で悩んでいてもしょうがないからグラム様に聞いてみよっと!

48 星の下、海風の中

 無言になってしまったグラム様と一緒に岩屋まで戻ってきた。

「それでは夕食の時に……」

 グラム様はそのまま部屋へと戻られた。
会話は途切れてしまったけど別段怒っている様子はなかった。
なんとなくだけど普段のグラム様と変わらない気がする。

「私に……抱かれてもいいと思ったの?」

 そう聞いてきたとき少しだけ声が震えていたけど、あれは怒りのせいではなかったと思う。
考えたいことはいろいろあったが夕食の時間が迫っていた。

「ゴクウ、下準備はできてる?」

 手を洗い、エプロンをつけて調理場へと駆けこんだ。

 今日の前菜はキュウリとヨーグルトの冷製スープを作った。
これはトルコでジャジュクと呼ばれる料理だ。
作り方はとても簡単で、ヨーグルト、水、すりおろしたニンニク、ハーブ、キュウリのみじん切りを混ぜて塩で味を調えるだけだ。
さっぱりしているので暑くて食欲のないような日でも美味しく食べられる。
厳密に言うとスープではないそうだが、水っぽいのでスプーンを使う方が食べやすい。
メインディッシュはヨーグルトに漬け込んでおいたコカトリアスの肉を使ったタンドリーチキンにした。
一晩漬けておいたので肉も柔らかくジューシーに仕上がっている。
野菜と一緒にパンに挟んでソースマヨネーズをつけたら絶品だった。

「あと数日で男将の料理も食べられなくなってしまうんだなぁ」

 士官の一人がしみじみと声を上げた。

「ああ。本国への帰還は嬉しいけど、男将に会えなくなるのは寂しいよ」

 治癒士のシェリルさんは決然と言い放つ。

「第二次調査隊が派遣されるようなことがあったら、アタシは絶対に志願するよ。こんなところに来たがる治癒士は少ないから絶対に採用さ!」
「おお、そこまで男将に惚れたか!?」

 他の者たちはどっと囃し立てたが、ライラという士官がポツリと呟いた。

「そうだよな……派遣先がここの方がずっと幸せだよ……」

 その言葉に全員が黙り込んだ。
帝国はいま各国と戦争中なのだ。
この人たちはいつ最前線に送られてもおかしくない。
戦争に比べればダンジョンの調査の方がずっといいのだろう。

 突然レインさんが立ち上がり、テーブルの上に残っていた白ワインを皆のグラスに少しずつ注いだ。

「全員杯をとれ」

 副長の命令に士官たちはグラスを上げる。

「今この瞬間、ここにいる幸福を喜ぼう」

 その言葉に一同は頷いた。

「この南の楽園に!」
「この南の楽園に!」

 一斉にグラスが傾けられ、流し込まれたワインは南国の思い出と共に彼女らの血肉となっていった。

   

 夕飯の後片付けが終わる頃には丸太小屋の明かりも一つ残らず消え、誰もが眠りについたようだった。
明日も夜明けとともに活動を開始するのだから、貴重な睡眠時間を削るような人はいない。
連日の探索で疲労も蓄積しているだろうから、もう夢の中なのだろう。
俺はといえば、必要なことはほとんどゴーレムたちがやってくれるので全くと言っていいほど疲れていないんだよね。

「後片付けが終わったらみんなでお風呂に入るからな。イワオたちはお湯を沸かしておいてね」

 作業現場で働くイワオたちは土で汚れていたし、調理場も担当しているゴクウたちは常に清潔にしておかなければならない。
一日の終わりにゴーレムたちをお風呂に入れるのは毎日の日課になっていた。
道具作製で作ったタワシも10個を超えていて、これを使ってゴーレムたちをキレイにしてやっているのだ。
亀の子タワシってヤシの実の繊維を利用して作られるんだね。
ここには素材がたくさんあるから作るのは楽で助かっている。
お風呂へ至る道には街灯も取り付けた。
消費魔力の小さい構造にしたので魔石が一つあれば3か月は点灯が可能だ。
俺のレベルも上がったぞ。

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創造魔法 Lv.11 全カテゴリの製作時間が7%減少
MP 1024/1024
食料作製Lv.8 食料作製時間15%減少
道具作製Lv.8 道具作成時間15%減少
武器作製Lv.2 武器作成時間3%減少
素材作製Lv.7 素材作製時間13%減少
ゴーレム作製Lv.5ゴーレム作製時間9%減少
薬品作製Lv.3
修理Lv.2
その他――

####

 ゴーレムに関していうとあれからシーマを2体追加した。
今はさらにもう一体作製中で最終的に四体のシーマにボートを引かせる予定だ。
実験はまだなんだけど、これで高速艇が実現できると思う。
しかもシーマ4号が完成すればゴーレム作製のレベルが上がる予定だ。
次はどんなゴーレムができるのか楽しみだ。

 ゴクウたちがタワシを持ってイワオたちのボディーをこすっている。
俺もワンダー1号のお腹をこすってやった。
ワンダーは風呂場の床にお腹を出して寝転がり、好きなようにされている。
メタルボディーなのでもふもふではないのだけど、仕草だけを見ていれば犬のようで可愛かった。
そういえば昔、アイボってあったよな。

 お腹を出していたワンダーが突然起き上がった。

「どうした?」

 風呂場の入口を見つめて警戒するように身を低くしている。

「誰かいるんですか?」

 見えない誰かに声をかけると躊躇いがちな声が返ってきた。

「シロー……」

 俺を呼ぶ声はグラム様のものだった。

「グラム様? どうぞ入ってきてください。服は着ていますから」

 現れたのは部屋着姿のグラム様だ。

「どうしたのですか、こんな夜更けに?」
「眠れないまま散歩をしていたら、風呂から音がして……。シローが出てくるのを待っていたのだ」
「なにか用事ですか?」

 グラム様は困ったような顔をして小さく頭を振った。

「そうではなく……シローと話がしたかった」
「わかりました。でもここでは何ですね。少し待っていてください」

 後のことをゴーレムたちに言いつけて風呂場をでた。
空には満天の星が輝いている。
光害なんてものとは無縁の世界だから、星の数が多すぎて星座なんてわからないくらいだ。
もっともこの世界の星座なんてどれ一つ知らないのだけど。
 俺たちはダンジョンの方へと森の小道を歩き出した。

「いつ見ても凄い星ですよね。俺のいたところではこんなにたくさんの星は見えなかったんですよ」
「シローは……あの星のどれかからやってきたのか?」

 地球とこの星って同じ宇宙の中に存在しているのかな? 
ひょっとしたら同じ宇宙で違う銀河にいるのかもしれないけど、俺には知る術もない。

「わかりません。でも、俺が違う世界からこの世界にやってきたという話……信じてくれるんですか?」

 グラム様は苦笑しながら頷いた。

「どういう訳かな、その方がシローという存在がしっくりくるような気がするのだ」

 あるがままの自分を認めてくれる人がいるというのは嬉しいものだ。
自分の中にあった解消されえない孤独が少しだけ軽減した気がした。

「グラム様にとって、俺はすごく変な存在に見えるんでしょうね?」
「うん。でも、おかげでこんな風に話すことができる。私は……これまでまともに男性としゃべったことなどなかったのだよ。今みたいに並んで歩いたことも」
「グラム様は恥ずかしがり屋ですもんね。もっと自信を持っていいと思うけど」

 俺の言葉にグラム様はふさぎ込んでしまう。

「シローは私のことをどう思う? その……背が低いだろう、私は?」
「俺のいた世界だと、小さい女の子は可愛いらしいって感じでしたけど、ここではちがうのでしょうね……」
「うん。背の低い女はとにかくモテない」

 自虐的に笑うしか他にやりようがないといった風にグラム様は肩をすくめた。

「それに私は……うまく人と馴染めないのだ。何を言っているのだろうな私は……」
「そういうこともあると思います」
「うん。……シローなら私の孤独をわかってくれるような気がして」

 無理をして生きてきたんだろうなこの人は。

「他の人はとにかく、俺にとってグラム様はとても魅力的に見えるんですよ。外見も内面も両方ともね」
「そうか……」

 それだけ言ってグラム様はまた口をつぐんでしまった。
突然だが、例えばすごく怠け者の人がいるとする。
とっても怠け者で会社ではサボることばっかり考えているような人だ。
ところがその部署の働き者の上司が離職して、今度は職務怠慢な上司が移動してくる。
その上司は彼以上の怠け者だったらどうなるだろうか? 
回らない仕事に業を煮やし、渋々ながら怠け者の男が働きだすなんてことがあるのではないだろうか。
それと同じ現象が今ここに起きようとしていた。
普段はヘタレな俺だが、自分以上に行動力の無いグラム様を前にして訳の分からないパワーが心に湧き上がってきたのだ。
俺は歩きながらグラム様の手を握りしめた。

「っ!」

 驚く様子を見せたが、グラム様は手を引っ込めない。
だから手を繋いだまま俺たちは歩き続けた。

「グラム様、もし嫌でなかったら俺と思い出を作りませんか?」
「思い出……それは?」
「セックス」
「っ!」

 グラム様の体がピクリと震えた。

「気に障ったら忘れてください。ただ、俺がしたいから誘っています」
「し、しかし……」
「ダンジョンからの帰り道でグラム様は俺に聞きましたよね。私に抱かれてもいいと思うかって。俺はハイと答えました。あれは俺の偽らざる気持ちです。むしろ抱きたいんですよ」
「……」
「これは俺の主観ですけど、した後とする前で当人の何かが劇的に変わることなんてないんだと思います。ただ俺とグラム様の関係が変化するくらいです。処女じゃなくなる、童貞じゃなくなるということに大した意味はないです。しいて言うなら異性に対する幻想が消えるって感じかな? 俺はそうでした」
「幻想?」
「ほら、異性を知らないから複雑に考えてしまうこともあるんだと思います。肌を重ねることで男と女の関係をもっとシンプルに捉えることができるって感じかな?」
「……」

 グラム様は無言のままだったけど、俺の手を振りほどくようなことはなかった。

「俺は童貞じゃないし、グラム様にとっては理想の相手じゃないかもしれない。でも、こんな俺でよかったら……どうでしょう?」

 いつしか森が切れてダンジョン前の広場に出ていた。
海からの風が心地よく肌を吹き抜けていく。
自分で自分が不思議だった。
地球では女の子を口説いた経験なんてない。
なんでこんなに気軽に誘っているんだろう?
この世界の女は地球の女とは精神構造が違う。
この世界の女は地球の男のメンタルに少し似ているから話しやすいのかな?

「シロー……いいのか?」
「はい。あっ、言っておきますけど、どんな女とでも寝るような男じゃないですからね」
「そ、そんなことはわかっている!」

 グラム様がムキになって言うのがおもしろかった。

「グラム様のはじめてですから、大抵のリクエストは叶えて差し上げますから何でも言ってください。でも、痛いのだけは本当に無理ですから。鞭とか暴力とかはやめてくださいね」
「そ、そんな趣味はない。私はむしろ責められる方が……」
「えっ?」
「何でもない!」
 俺たちは基礎工事が終わったばかりの土台へと入った。
そして魔導カンテラの灯りを絞って僅かな光源だけを残す。

「ど、どうすれば……」

 ガチガチになって、テンパるグラム様の頭を俺は優しくなでた。
グラム様の髪の毛ってこんなにサラサラだったんだ。

「まずはキスからじゃないですか?」
「そ、そうか……」

 目を閉じると海風に混じってグラム様が唾を飲みこむ音が聞こえた。

70 追跡は終わり、奴はモンスターになった

 俺たちの乗った小型船はシーマたちに曳航(えいこう)されて島の沖合へでた。 これはもともとセシリーの仇敵であったジャニスの持ち物だ。 とはいえジャニスもどこからか盗んできただけのようだけど……。 とにかく今は俺のものになっていてあちこちに改装を施してある。 船体も「修理」...