小川の下流で二体一組となったイワオが大きな樽をシェイクしている。
樽の中には洗濯物と水、洗剤が入っていて、これは言ってみればゴーレムを使った洗濯機だ。
15分ほどシェイクした後、汚水はスライムの待ち構える汚水層へ注がれる。
新たな水を足してすすぎを二回もすれば洗濯物は綺麗になっているという寸法だ。
洗いあがった洗濯物は大きな網に入れられ、イワオたちがこれをブンブンと頭上で振り回す。
そう、脱水だ。
こうして水気を取ったあとはゴクウたちがヤシの木に張った洗濯紐に干していくのだ。
青空の下で風に揺れる白いシーツというのは見ていて気持ちがいい。
これで午前中の仕事は終わった。
後は夕飯の仕込みを始めるまではのんびりとできる。
宿泊客は全員ダンジョンへと行ってしまい、ここに居るのは俺とシエラだけだ。
今日は珍しくシエラが洗濯物を干すのを手伝ってくれた。
背は低いんだけど宙に浮くことができるからシーツを干すのにも困らない。
シエラがここに来てから一カ月以上が経っているけど俺はもう宿泊費を貰ってはいなかった。
なんとなく一緒に住んでいる感じかな?
ずっと「兄上」だの「お兄様」だのと呼ばれていたせいか、いつの間にか俺もその気になってしまったようだ。
中身は42歳とわかっていながら、可愛い妹と一緒に宿屋をやっている気分になっている。
お互いが窮屈じゃなくて、楽しいままに居られる距離感なんだと思う。
言っておくけど身体の関係はないからな。
まったく欲情しないというと嘘になるけど、今の関係が気に入っているのだと思う。
戯れに一緒にお風呂に入ることもあるんだけど、互いの髪を洗ったり、背中をこすったりしておしまい。裸を見ればマイサンは反応するけど、一線を越えるには至らない。
シエラが俺を眷属にできないことも理由なんだけど、俺自身も強くそれを望んでいるわけじゃない。
使い古された「友達以上恋人未満」という言葉も当てはまらない気がした。
シエラは「本当の兄妹みたいではないか」というけど、本物の兄妹は成人したら一緒にお風呂に入らないだろう?
「兄妹っていうか……やっぱり俺たちの関係って特殊なんじゃないか?」
そう言ったらシエラは嬉しそうに笑っていた。
どうして嬉しそうにしていたかは俺にも分からない。
聞いても教えてはくれなかった。
「そろそろご飯にしようか。何が食べたい?」
「ん~、サバサンド」
サバサンドとはグリルした魚の鯖(さば)のサンドイッチだ。
鯖とパンの組み合わせにびっくりする人もいるけど、これが意外に美味い。
トルコの都市イスタンブールの名物料理でもある。
焼いた鯖とレタス、トマト、スライスオニオン、レモンを挟んで食べるととってもジューシーだ。
亜熱帯のこの島で高原野菜のレタスは絶対にとれないので俺しか作ることのできない逸品だぞ。
先日、シーマが鯖を獲ってきた時に作ったのだがシエラは気に入ったようだ。
材料となる鯖はその時の残りを冷凍して保管してあるので問題ない。
「じゃあ、レタスを作製するからちょっと待っててよ」
「うん。……客がきたぞ」
シエラが森の小道の方を見つめた。
つられて俺もそちらを振り向く。
緑の森に赤い花が咲いていた……そう見えたのは幻覚だったようだ。
実際のそれは人、赤い髪をした女の人だった。
「セシリー……」
思わずその人の名前を呟いていた。
懐かしさと生きていたという安堵に胸を押さえてしまった。
「シロー!」
セシリーも俺の姿を認めてこちらに近づいてくる。
久しぶりの再会だから思いっきりハグしようかな?
きっとセシリーは真っ赤になって照れてしまうだろう。
そんなことを考えながらセシリーに近寄ろうとしたら、シエラがセシリーに殴りかかっていた。
「シエラ!」
小柄ながらヴァンパイアの身体能力は人間のそれを上回る。
だけど、セシリーも爆炎の二つ名をもつ剛の者だ。
寸でのところで防御して直撃を避けていた。
「貴様なにを……」
セシリーの言葉を無視してシエラは下段・上段と攻撃を続け、ついにセシリーの頬をぶん殴ってしまった。
「止めてシエラ! どうしたっていうんだよ?」
抱きしめてシエラを止めたけど、その時になってシエラの体がピクピクと震えているのが分かった。
しかも普段は冷たいシエラの体が病魔におかされたように熱い。
「お前の……お前のせいでシローは酷い目にあった!」
その一言でシエラがどうしてこんなことをしたのかが分かった。
シエラは俺がジャニスに犯されたことをセシリーのせいにしているのだ。
「シエラ、それは違う! あれは……」
ジャニスのことはセシリーに言うつもりはなかった。
そんなことを話せば生真面目なセシリーのことだ、
自責の念で自殺してしまってもおかしくない。
「いったい何を言って……」
口元から零れる血を拭いながらセシリーは立ち上がった。
「ジャニスのことだ」
「シエラ、止めてくれ!」
俺は止めたけどもう遅かった。
発せられた言葉は拡散しても、記憶はそれをとどめてしまう。
「ジャニス? どうしてジャニスが……」
こうなったら俺が説明するしかないだろう。
「ジャニスがこの島にやってきたんだ。ひどい傷を負っていた」
俺はあの日起こったこと、シエラに助けてもらったことなどを話して聞かせた。
「私の……私のせいでシローは……」
セシリーは膝から崩れ落ちてしまう。
俺にとってはもう過去の話なのだが、セシリーにとってはショッキングな事実なのだろう。
だけどね、俺はこの世界の男とはちょっとだけ精神の構造が違う。
悔しい思いや殺されてしまいそうになった恐怖は残っているけど、それももう克服した。
「セシリー、俺はもう大丈夫だから」
「だが……アタシは……」
このままだと本当にどうなるかわからないぞ。
「セシリー、俺を見てよ」
セシリーはうつむいたまま顔を上げようとしない。
仕方がないので両手でセシリーの顔を優しく掴んでこちらを向かせた。
「ちゃんと見て」
セシリーは涙で濡れた目で俺を見つめた。
「どう? 俺は汚れている?」
セシリーはブンブンと大きく首を振った。
「以前と変わってしまった?」
再びセシリーは大きく首を振った。
「つまりそういうこと。もう大丈夫だ!」
そう言って微笑みかけたけど、セシリーは小さく首を振った。
「私はシローに償わなくてはならない……」
「だからぁ、悪いのはジャニスであってセシリーじゃないでしょう」
「いや、私がきちんと死体を確認しなかったから……」
俺は横目でシエラを睨んだ。
もう、余計なことをするから話がこじれてしまったじゃないか。
「シエラもこの話はもうおしまいだぞ」
「だが……」
「いつまでも俺がレイプされた話題で盛り上がりたいのか?」
「そ、そんな!」
俺はシエラとセシリーを抱き寄せた。
「シエラ、セシリー、俺は本当にもう大丈夫だから。心配してくれてありがとう」
心配してくれるんなら二人掛かりで慰めて! とは言えない。
セシリーはずっと動かないまま俯いていたけど、やおら決意の表情と共に顔を上げた。
そして片膝を大地に付き俺の手を取った。
「シロー、私と結婚してくれ」
「……なんで突然?」
唐突にもほどがあるだろう。
「責任を取りたい。私の一生をかけて君を幸せにする。だから!」
そうきたか……。
2019年11月20日水曜日
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