2019年11月20日水曜日

70 追跡は終わり、奴はモンスターになった

 俺たちの乗った小型船はシーマたちに曳航(えいこう)されて島の沖合へでた。
これはもともとセシリーの仇敵であったジャニスの持ち物だ。
とはいえジャニスもどこからか盗んできただけのようだけど……。
とにかく今は俺のものになっていてあちこちに改装を施してある。
船体も「修理」を使って新しくしてあるし、船内も趣味のいい家具調度を揃えて、過ごしやすい空間が整えてあった。

 風が出てきて、波の向こうに見える商業区の灯りがぼんやりと揺れている。
もうシエラたちは白蛆を見つけただろうか? 
今回はシエラとセシリーに加えてマスター・エルザやギルドの職員、腕利きの冒険者が白蛆討伐に向かっているから後れを取ることはないと思う。

「男将さん、テーブルの用意ができたっす!」

 ミーナが元気よく俺を呼びに来た。
本来は娼館の待合室で夕飯を食べようとお弁当を作ってきたのだが、白蛆騒ぎでそれもできなかった。
追跡を続けているシエラたちには悪いけど食べておかなければいざという時に力が出ない。
海の上は風が気持ちよく、陸から離れているので虫もいなくて過ごしやすい。
今晩は甲板にテーブルをセッティングして夕食を食べることにした。

「二人とも席に座って。後は俺とゴクウでやるから」

 護衛に来てくれたルージュとミーナを座らせて、カゴに詰めた食事を広げていく。
二人の他にもワンダーを2体、ゴクウを1体、ハリーを6体連れてきている。

「へんな奴が来ても私の結界魔法で近づけさせはしませんよ。胸の見せどころです」
「いや、胸じゃなくて腕だろう……」

 隠れ巨乳はわかったからさ。

「どっちも見せるから大丈夫です!」
「バカなことを言ってないで御飯にするっす!」

 やけにはしゃいでいるルージュとミーナを落ち着かせて、前菜のレッドボアと木の実のテリーヌをだした。
ボリューミーな料理だけど若い二人なら平気だろう。

「うおお、美味そうっす!」
「船の上でこんな優雅な食事をするのは初めて!」

 まあ、やっていることはディナークルーズだもんな。
ルージュもミーナも可愛いいから普段の俺なら同じようにはしゃいでいたかもしれない。
だけどセシリーたちのことが心配で食欲はなかった。

 その晩は船の上で夜を明かした。
船室は一つしかないのでルージュとミーナは甲板に毛布を敷いてその上で寝てもらうことになった。
逆でもまったく構わなかったのだけど「男をそんなところで寝かせるわけにはいかない」とのことで、俺だけがベッドで寝ることになったよ。

「男将さん、起きていますか? 男将さんのハトが来ましたよ!」

 ミーナの声に船室から飛び出した。
ずっと心配でよく眠れなかったのだ。
ポッポー3号の足には小さな手紙が括り付けてあった。

兄上へ
 三日月海岸の桟橋へ戻ってきてください。

               シエラ

 手紙は短い一文だけで詳しいことは何も書いていない。

「帰って来いってさ。他には何にも書いてないよ」
「たしかにシエラさんの字ですか?」

 ルージュが手紙を睨んでいたけど、間違いなくこれはシエラの字だ。

「とにかく慎重に戻ってみましょう」

 シーマたちに舟を引っ張らせて入り江に戻ったが、桟橋ではシエラとセシリーがいて手を振っていた。
遠くから見る限り無事なようだ。

 この船は小型船なので喫水が浅く入り江の中まで入っていくことができる。
桟橋に船を横付けにするとセシリーが俺に手を伸ばして下船を手伝ってくれた。

「ただいま。どうなった?」
「少々厄介なことになっている」

 シエラの顔はいつだって青白いけど、今日はいつもとは違う顔色の悪さだ。

「なにがあった?」
「ポッポーの案内で白蛆を追ったのだが、奴は寄りにもよってダンジョンへ逃げ込んでいたのだ」

 それはまた面倒なところへ逃げ込んだな。

「追跡するのに苦労しそうな場所だよね。でも、一人でダンジョンなんて逃げ延びられるのかな?」
「奴はそれなりに強い。水は魔法で作り出せるし、食料は探索中の冒険者から奪うことも出来るだろう。コカトリアスのような可食モンスターもいる」

 凶悪なモンスターに出会わなければ生き延びることは可能なのか……。

「ただな、やはり一人でダンジョンの奥へ行くのは不可能だろう」
「シエラでも無理?」
「ああ、私でも無理だ。一人でできることというのはたかが知れているのだよ……」

 そういうものなのかも知れないな。

「マスター・エルザは?」
「今はダンジョンの入り口で待機中だ」

 みんな一睡もしていないようだ。

「シエラもセシリーも少し休まないとね。ご飯は食べた?」
「昨日から何も口にしていない」
「だったらすぐに用意するよ」

 俺はシエラの耳元に口をよせる。

「血を用意しておくからね。お酒と混ぜて飲んでから仮眠を取るといい」
「うん。少し多めでお願い」

 血は匂いがきついから皆の前で飲むのは禁止の約束をしているのだ。
後で俺の部屋で飲ませてあげるとしよう。


 それからダンジョンはしばらく閉鎖された。
選抜隊により地下1階から3階までがくまなく捜査されたが、白蛆の姿はどこにも見つからなかった。
はたして、モンスターに食べられたのか、地下4階より下へ行ったのか……。

 選抜隊はマスター・エルザが直接指揮を執り、シエラやセシリー、ガチムチ女戦士さんたちなんかも参加していた。
本当は地下4階より下も捜索したかったようだが、それは現実的ではないと判断された。
そこから下はかなり手強いモンスターが出没し、シエラやマスター・エルザでさえソロだったらてこずる敵がわんさかと出てくるからだ。

 捜索を初めて10日間が経過し、ついにマスター・エルザは白蛆追跡の打ち切りを発表した。
それと同時にダンジョンは再び解放されて、冒険者がこれまで通り探索に励んでいる。
今のところ白蛆発見の報告はないし、白蛆に殺された形跡がみられる冒険者も発見されていない。
もちろん死者は毎日のように出ているので、それが白蛆の仕業なのか、はたまたモンスターの仕業なのかもわからない。
つまり、白蛆はダンジョンのモンスターの一体として認識されるようになった。

「狩り殺しても魔石一つでない敵だがな……」

 セシリーは最後まで悔しそうだった。
たぶん、同国人として自分の手でケリをつけたかったのだと思う。
あまり過去を話したがらないから詳しいことはわからなかったけど……。

   ♢

 俺の自室にシエラの高笑いが響いていた。

「ふはははははっ、人の刻限は終わりを告げた。これより魔性の時が始まるのだ!」
「や、やめて……」
「絶望せよ! そして抗うことなくその血を差し出すのだ。ふははははっ!」

 シエラが俺のシャツをはぎ取った。

「キャーーーー」
「我が目を見ろ、この赤き瞳を受け入れ闇に酔いしれるがよい」

 怪しく光る眼(まなこ)が俺を魅了する。
俺は力を抜いてシエラに身を委ねた。
そしてシエラは首に噛みつく……ふりをする。
首筋には俺が魔法で作り出した輸血用血液が塗ってあった。
ペロペロペロ……。

「どお? 美味しい?」
「あ、バカ、もう少し余韻を楽しませてくれ」
「ごめんごめん…………ああっ……私の血に闇が侵食する……」
「ふふふ、今宵はそなたのすべてを貰い受けるぞ」

 俺とシエラはヴァンパイアごっこの真最中だ。
10日間も白蛆探索を頑張った慰労でシエラのリクエストを聞いてあげているわけだ。
最初はどうかと思ったけど、やりだしたら俺も楽しくなってきた。
だけど、ペロペロされると変な気持ちになっちゃうな。
この後はセシリーとマスター・エルザのマッサージも控えている。
マスターはともかくセシリーにマッサージをしてあげるのは楽しみだ。
久しぶりに超ド級のお胸様が拝めるんだもん。
マッサージオイルをだしてシロースペシャルにしてあげようっと!

69 白蛆

 シエラの風魔法で毒の粉を海側へ流して拡散させた。
やがてマスター・エルザが治癒士を伴って駆けつけてくるとセシリーだけじゃなくシエラも治療を受けていた。
普段と変わらない様子だったから、てっきりシエラはダメージを受けていないと思っていたけどそんなことはなかったのだ。

「大丈夫? 痛いところはない?」
「ヴァンパイアに毒は効きにくい」

 強がっていたけどダメージはあったのだろう。
普段のシエラならあそこでポルタを逃がさない。

「ポッポーは奴を追っているのだな?」
「うん、そのうち連絡が来ると思う」

 ポルタがどこかに潜伏したら戻ってくるはずだ。

 シエラの治療はすぐに終わったけど、セシリーの方は倍以上の時間がかかっていた。
初めの内は顔色も悪く、苦しそうに胸を押さえていたけど、治癒魔法のおかげで症状も改善してきたようだ。
頃合いを見計らってマスター・エルザがセシリーの近くに寄ってきた。

「災難だったね。どうだい、喋るくらいはできるかい?」
「ああ、問題ない」
「それにしても白蛆(しろうじ)とはね……本当なのか?」
「戦闘の途中で奴の服が破れて左腕のタトゥーが見えた。あれは旧ルウェイ王国の鉄羊兵団のタトゥーだ」
「証拠はそれだけ?」

 質問するマスター・エルザの表情は淡々としている。

「白蛆のタトゥーのことはアンタも知っているのだろう? 鉄羊兵団(てつようへいだん)はルルゴア帝国との戦争で壊滅している。あのタトゥーをしている人間はほとんど生き残っちゃいないさ……」
「あんた、ルウェイ王国の生き残りかい?」

 セシリーはマスター・エルザから視線を外して、過去を見遣るようにぼんやりと遠くを見た。

「昔の話さ。それに白蛆に直接会ったこともない。ただ、聞いていた特徴に完全に合致するんだよ。髪の色や毒を使うなんてところもね」
「うん……」

 マスター・エルザは腕を組んで考え込んでしまった。

 俺はずっと気になっていたことをセシリーに聞いてみる。

「白蛆ってなんなの?」
「白蛆は奴の見た目からついたあだ名さ」

そういえば蝋みたいな肌をしていたな。

「シローは奴の話を聞いたことがないのかい?」

 俺は異世界人だもん……。

「昔、ルウェイ王国という国があったんだ。4年前に帝国に併呑されてしまったけどね……。白蛆はその国の鉄羊兵団という部隊に所属していた兵士だったのさ」

 セシリーはぽつりぽつりと昔のことを話してくれた。

 鉄羊兵団は帝国との戦争末期に人員不足を補うために創設された、犯罪者で構成された部隊だったそうだ。
当然のごとく白蛆も犯罪者だった。

「あいつの犯罪歴は両親を惨殺したところから始まっている」

 幼い頃から父親に虐待を受けたとか、富裕な薬局の娘だったとかの噂はいろいろあったが詳しいことはセシリーにもわからない。
ただ、その所業はあまりにも有名だった。

「元は海賊だったアタシが言うのもなんだけどね、とんでもない女なのさ。奴は自分の親を皮切りに捕まるまでの1年の間に128人の人間を殺している」

 平均すると三日に一人は殺していたのか……。
こんな計算に意味はないけど考えてしまうんだよな。

「この数字だって奴が憶えていて自白した分だけだ。実際はもっと多かったのだと推測されている」
「でも、白蛆は結局捕まったんだよね?」
「ああ、当時は白蛆専門の捕縛チームが作られたくらいだった。アタシがまだ士官学校にいた頃のはな……いや、この話はいい。とにかく白蛆だ」

 自分のことはあまり語りたくないようだ。
セシリーは話を続けた。

「腕利きたちが集められて何とか白蛆を捕縛することはできた。取り調べも済んで公開処刑されることも決まっていたのだが、その前に戦争が起こってしまった」

 元から白蛆を鉄羊兵団に編入する予定があったわけではないのだが、様々な事情が重なって処刑は延期された。
白蛆は独房の中で生き永らえ、紆余曲折(うよきょくせつ)を経て処刑の代わりに最前線へ送られることが決定したそうだ。

「お国も滅茶苦茶だったのさ。新たに帝国兵を500人殺せばそれまでの罪を許そうってんだからね。まあ、お偉方は口約束のつもりだっただろうし、白蛆は激戦の中で死んでいくだろうと考えていたのだとは思う」

 だが、白蛆は戦争を生き延びた。
生き延びただけでなく戦後のどさくさに紛れて姿を消してしまったのだ。

「あれから四年経ったがまだ生きていたんだね……」

 白蛆はいろいろな国を渡り歩いていたらしく、様々な国で指名手配されているそうだ。

「とにかくやばいやつなんだよ……」

 大きなため息とともにセシリーは言葉を切った。
それと同時に治癒魔法も終わる。

 マスター・エルザは頭をボリボリかいて、苛立ちを隠そうともしなかった。

「まったく厄介なことになったね。ポルタが誰であれヴァンパイアの嬢ちゃんがてこずるほどの手練れってんだろう? そこいらの冒険者じゃ敵いっこないじゃないか」

 シエラとセシリーが二人掛かりで捕らえられなかったのだ。
ポルタはかなり手強い。

「追跡部隊を組織しなけりゃならんだろうけど、生半可な者を充てる訳にはいかないからねぇ……」

 マスターはシエラを見つめた。

「面倒ごとはごめんだぞ。今日は兄上を護衛していたから奴と戦っただけだ」
「その大事なお兄様を白蛆が狙ってきたらどうするんだい? あいつは狂っているんだ。しかもどういうわけか男ばかりをつけ狙う。この島にいる限り男将はいつだって見張られているかもしれないんだよ?」

 マスターも怖いことを言うな。
いくら俺が見せたがりの見られたがりでも、殺人鬼に覗かれるのは趣味じゃない。

バサバサバサッ

 闇の中から何かが飛び出てきたと思ったらポッポー2号だった。
びっくりしすぎてオシッコを漏らしそうになったじゃないか! 
すぐ近くにトイレはあるけど、あそこは殺人事件の現場となった場所だからあんまり近寄りたくないのだ。
まだ大丈夫だけど、そろそろ我慢が限界に近づきつつある。
あとでシエラにこっそりついてきてもらうことにしよう……。

 白蛆を追わせていたのは1号だけど、ゴーレム同士はある程度のコミュニケーションが取れる。
ひょっとしたら1号に頼まれてここへ来たのかもしれない。

「2号、もしかして1号に頼まれたの?」

 ポッポーは自分についてこいと言わんばかりに地面の上で跳ねだした。

「白蛆の潜伏先が分かったみたい」

 一同の間に緊張が走った。

「これはギルドからの正式な依頼だ。シエラ、セシリー、アンタたちについてきてほしい」

 生けるレジェンドでもあるマスター・エルザでさえ単独で乗り込むことに躊躇しているようだ。
ギルドの職員もいるけど、この二人ほどの技量はない。

「いいだろう、これも兄上のためだ」
「私も行くぞ。ケリをつけてやる」

 この三人が揃っていれば安心な気もするけど、俺はどうしよう。
シエラたちと別行動している間に白蛆が襲ってきたら……。

「男将さんは自分が守るっす」

 ミーナの気持ちは嬉しいけど、ちょっと心許ないんだよね……。
俺の不安を察したのかセシリーがシエラと相談を始めた。

「シローはどうする? ルージュとゴーレムが護衛についたとしても……」
「あいつが相手では少々不安が残るな」

 結局、俺はミーナやルージュに守られて小型船で沖合に避難することになった。

68 毒の館

 マダム・ダマスの言葉にびっくりしてしまったが、すぐに言いたいことは理解できた。

「つまり、ゴーレムに男の子たちを守らせたいと?」
「その通りです」

 客を取った男娼の部屋に見張りを置くわけにはいかないが、ゴーレムだったら置物と思えば問題ないということか。

「だけど、私にも仕事があるので……」
「そこを何とか、休業の間は私の方で損失は補填いたしますので……」

 バーコードを震わすロイドさんを見ていたので協力してあげたい気持ちはある。
男をつけ狙う殺人犯に自分が狙われたらと思うと、俺としても気色が悪い。
犯人が捕まるまで、せめて男娼たちが落ち着くまでという言葉に説得され用心棒を引き受けることになってしまった。

 幸い宿の方に連泊のお客さんはいない。
今晩泊まりたいという人はいるだろうけど、そういう人にはギルドの宿へ行ってもらうしかないだろう。
食事の方も臨時休業だな。
毎晩来てくれるガチムチ戦士のお姉さんたちには悪いけど、今夜は我慢してもらうしかない。
店を再開したら大好きなレバーペーストカナッペを食べさせてあげるとしよう。

 警護しなければならない男の人は全部で六人いた。
それぞれワンダーとハリーを一体ずつ付けることにしたけど、そうすると俺の護衛が少なくなってしまう。
ちょっぴりだけ不安がっていたらシエラに加えてセシリーとルージュ、ミーナまでもが護衛してくれることになった。

 俺たちは男娼たちが客を待つ待機部屋の隅に陣取った。
ワンダーやハリーには警護対象を守るようによく命令してある。
夕方になってダンジョンから冒険者たちが戻ってくると、商業区は嘘のようにざわざわとした活気に溢れだした。
普段なら自分の仕事が忙しくなる時間だ。
夕方以降に商業区にいるのは初めてのことだった。

「こうしてみるとこの島にも随分と人がいるんだねぇ」

 窓から見える往来には人々が溢れ、食べ物や酒を売る露店まで出ている。
珍しさに街を眺めていたら顔見知りの冒険者に声をかけられてしまった。

「ええっ!? 男将さん、もしかしてお客をとってるの!?」
「違います。今日はたまたま用事でここにいるだけです」
「なんだよ~、もしそうなら借金してでも上がったのに……」

 変な誤解を生むといけないから奥の方へ引っ込んでおこう。

 この娼館で男を買うにはそれなりの料金がかかる。
人によって金額は変わってくるけどだいたい3万レーメンから4万レーメンの間だ。
これは島料金であり帝都ルルサンジオンでこの値段なら高級娼夫を買うこともできるそうだ。
ボッタクリもいいところなのだが、この世界の女たちの性欲は強く、連日客は切れないそうだ。

「そうはいってもね、私らの手に残るのはわずかな金さ。一人お客をとっても私の手取りなんか3000レーメンだよ。残りは全部マダム・ダマスのところへいっちまうのさ」

 ロイドさんはそう言ってため息をついた。
でも、これでロイドさんはましな方なのだそうだ。
借金のある人は無給で働かなくてはならなかったから。

「クライブ兄さん、ご指名です」

 娼館の下女がクライブさんを呼びに来た。
一番人気の男娼だけあってさっそく指名がついたようだ。

「はぁ……乗り気がしないなぁ。相手は?」
「ポルタという冒険者です」
「ああ、あの暗い人か。あの人、苦手なんだよね」

 クライブさんは物憂げな表情でタバコをくゆらせている。

「兄さん、お早く」
「これだけ吸わせてよ。島じゃタバコも貴重なんだから」

 クライブさんはさも行きたくなさそうな感じで煙を吹きだした。
ため息をついただけかもしれない。

「あいつ変わってるんだよ。死んだオジーに聞いたんだけどね、ポルタの奴は魔法を使わずにオジーのアソコをたたせようとしたんだって」
「なんでわざわざ?」
「さあ? 結構いるんだよ、自分のテクニックを見せつけようとしてそういうことする奴。まあ、大抵はたたないんだけどさ。結局オジーの時もたたないまま時間が来ちゃって、交わることはなかったんだって」

 クライブさんの話を聞いてロイドさんが青い顔になった。

「ちょっと……トビーもポルタの指名を受けてなかった? オジーの時と同じで魔法をつかわなくて……最後までできないまま時間がきたって言ってた……」
「もしかしてトビーさんっていうのは?」
「そう! 殺されたトビー!」

 今度はクライブさんが青くなる番だった。

「ヤダ……私、いきたくない!」

 確かにポルタという女は被害者たちにとって共通の接点がある。
クライブさんはもともと本番なしの男娼だ。
そのおかげで殺されなかったのかもしれない。

「どれ、少し私が見てこよう」

 シエラが音もなく立ち上がった。

「俺も行くよ」

 シエラの耳に口を寄せて囁く。

「いざとなったら俺が「修理」で武装を解除する」
「そのようなことをしなくても大丈夫だ」
「ここで暴れられたら、他の人に危害が及ぶかもしれないだろう?」
「ふむ……わかった。だが、シローは少し離れたところにいてくれ」
「うん」

 娼館に来た客はロビーで受付を済ませると、すぐ横にある待合室で男娼が迎えに来るのを待つのがここのシステムだ。
待ち時間には酒が供され、タバコなども用意されている。
開店したばかりで他には客はなく、待合室では一人の女が前かがみになってソファーに座っていた。
これがポルタか。

 真っ白な蝋で出来たような肌をした女だった。
目つきはどんよりとしていて宙の一点を見つめたまま身じろぎもしない。
ポルタの前には酒のグラスもなく、たばこの煙も漂っていないところをみるとサービスを拒否して男の登場を静かに待っているようだった。

 シエラは俺に戸口のところで待つように言って、無造作にポルタへと近づいていった。
俺はいつでも消せるようにとポルタの武器を探したが、彼女は丸腰だった。
それもそのはずで娼館では受付に武器を預けるのが基本ルールだそうだ。
もっともこの世界の女たちは魔法が使えるのであまり役に立つルールでもなさそうだが……。

 スタスタと歩いてきたシエラにポルタは顔を上げた。
その顔を見ながらシエラはクンクンと鼻をうごめかす。

「お前、血の匂いがするな……」

 シエラはただそう言っただけだった。
一拍の間があっていきなり宙返りをしながらポルタがシエラを蹴り上げてきた。
シエラは体を反らして攻撃を避け、ポルタはソファーの後ろに降り立った。

「馬脚を露したか。§ΔΓ§¶Γ……」

 シエラはポルタを捕らえるべく詠唱を始めたが、ポルタの動きは思いのほか速かった。
どこからか取り出した革袋から緑色の粉がシエラに向かって投げつけられる。
おそらく毒なのだろう。
シエラは呼吸を止めるしかなく詠唱は中断された。

 口と鼻を袖で覆いながら避けるシエラに向かって、ポルタが隠し持っていたナイフを突き出す。
しかしそれを避けたシエラのカウンターパンチがポルタの顔面を捉えた。
脳震盪をおこし朦朧となっているポルタの姿に、俺はシエラの勝利を確信した。
だが……。

「おぇぇぇええええ……」
「シエラ!」

 毒にやられたのか!?

「気持ちわるい……生肉の破壊される感触……」

 そう、シエラは肉や皮が破壊される感触が生理的に苦手なのだ。
いくらシエラが強くても、攻撃は基本的に魔法しか使えない。
ふらつくシエラに容赦なくポルタが襲い掛かった。

ガキーン‼

 シエラを狙ったナイフはセシリーの剣に跳ね返された。
だが、すぐに身を翻したポルタの蹴りでセシリーは吹き飛ばされてしまう。
おいおい、ひょっとしてシエラやセシリーと対等以上に渡り合っていない? 
こいつ、やばい奴だ……。
恐怖が足元から上ってくるような感じがして一歩も動けなくなっていた。

「男将さん、下がって!」

 誰かに襟を引っ張られたと思ったらミーナだった。
俺の目の前に割り込んできたルージュが結界を展開している。
娼館のロビーでは三人が入り乱れての激しい戦闘になっていた。
やがて不利を悟ったのかポルタが再び大量の粉を撒いた。
シエラとセシリーはそれをかわして距離を開けたが、その隙にポルタは入り口から飛び出していった。

「シロー、ポッポーに追わせろ!」

 シエラが叫び、俺は肩にいたポッポーを放つ。
上空からなら気が付かれずに追跡できるかもしれない。
ロビーには毒の粉が充満していたけどゴーレムであるポッポーには関係なかった。

「ゴホッ! ゴホッ!」

 セシリーが嫌な咳をしている。

「セシリー、大丈夫なの?」
「問題ない。少し吸っただけだ」

 俺のいる場所はルージュの結界のおかげで毒は来ていないようだ。

「シロー、ルージュの結界の中にいろよ。ミーナ、窓からでて治癒士とマスター・エルザを呼んできてくれ」
「わかったっす!」
「それから……」

 セシリーは苦しそうに胸を押さえつけながら付け足した。

「マスターにあったら伝えてくれ。犯人はおそらく……白蛆(しろうじ)だ」

67 マダムの依頼

 岩屋の奥にある自室で起床時間を報せるアラームが響いた。
それと同時に魔導ランプの灯りが大きくなり部屋の中が明るく照らされる。
俺の部屋には窓がないので、タイマー式のランプを置いているのだ。
これも創造魔法の魔道具作製で作ったアイテムだった。

 思いっきり伸びをして目を開けると、すぐ横で寝ていたシエラと目が合った。
シーツの上に広がる銀の髪、その中に小さな顔があり、赤い目が真っ直ぐ俺を見つめている。
開いたパジャマの襟元から真っ白い肌に覆われた鎖骨が見えていた。
手を伸ばせば届く髪の毛に触れてみたかったけど、今朝はなんだか気後れしてできない。
兄妹ゴッコの時に何度となく触れてきた髪なのに。

「どうした?」

 おはようの挨拶もせずにシエラは俺に問いかけてきた。
それくらい今朝の俺はまごついていたのかもしれない。

「シエラってやっぱり可愛いよな」
「知っておる」

 別に自慢してこう言っているのではない。
シエラは自分の姿をあるがままに受け入れているだけみたいだ。
寝不足で頭がぼんやりしていたけど、次第に意識がはっきりとしてきた。
そうだ、昨晩は殺人事件が起きたから念のためにシエラがここで寝てくれたんだ。

 でも、どうしてシエラはそこまでしてくれるんだろう? 
俺たちは恋人同士じゃない。
兄妹というていで宿屋をやっているけど、実際はただの友人だ。

「シエラはどうして俺と一緒にいてくれるの?」

 突然の質問にシエラも困ったような表情になった。

「それは……やっぱりお兄様でいてくれるから……かな?」

 シエラの性癖を理解して、その上で付き合ってやれる男はあまりいないのだろう。
たとえいたとしても容姿・性格・知性など様々な条件が必要になるそうだ。

「シローの場合、性格は申し分ない。知性もギリギリで及第点だ。容姿は……」
「なんだよ?」
「まあ、70点といったところかの。私はあまり見た目にはこだわらぬゆえ問題はない」

 厳しいな! 
まあ、顔は大した点数じゃないのは元の世界でも、この世界でも同じだ。
そのかわり体つきと雰囲気がエロいらしい。

「なあ……シエラは俺の友だちだろう?」
「今朝のシローはやけに恥ずかしいことを聞くのだな」

 そうなんだけどさ……。
俺はシエラのことを友人だと思っている。
だけどついつい性の対象として見ていることも事実だ。
シエラは俺のために護衛までしてくれたと言うのにそのことが後ろめたかった。

「恥ずかしいのは自覚しているよ。たださぁ……シエラって俺に欲情することある?」
「うん? かなりの高頻度だ。シローはエロイ」

 それを聞いて肩の力が抜けた。

「そっか、俺だけじゃなかったんだ」
「そんなことを気にしていたのか?」
「だってさぁ、友人なのに性の対象っておかしくない?」
「さあ? いい男がいれば食指は動く。たとえそれが友人であってもだ。そういうものではないのか? 問題はそれを実行に移すか否かだ」
「シエラは俺に対して実行に移そうとは思わない?」
「なんだ、私を口説いているのか?」

 茶化すように聞いてきたけど、俺はけっこう真剣だった。
シエラと肉体関係を持ちたかったからじゃない。
まったくその逆だったからだ。
もしもシエラが俺との関係を望んでいるのなら、俺たちはもう少し距離を置くべきだと思った。

 シエラは性癖として兄が好きなのだ。
ごっこ遊びの間なら付き合えるけど、実際は俺なんかよりシエラの方がずっと成熟した大人の女だ。
それはしばらく一緒に暮らして言葉を交わすうちに理解できた。
シエラと付き合っても、彼女と対等な関係は望めないと思った。
きっと俺は支配される。
そもそもヴァンパイアであるシエラと交わるには眷属にされなくてはならない。
そんな関係は耐えられそうにないと感じた。

 俺の雰囲気を読み取ったのかシエラも少し態度を改めた。

「ん~、シローが他の女と寝たら嫉妬はすると思う。だけどそれは兄を取られた妹の気持ちに近いのじゃ。理解できるか?」
「ごめん、よくわからない」

 むしろ、おもちゃを取られた子供の気持ちじゃないのか?

「わからないだろうのぉ……。それにシローは私が怖いのだろう?」
「うん……多分、俺はシエラの思い通りの男になっちゃうと思う」
「やっぱり知性は及第点だったようじゃ。だがのぉ、一切を相手に委ねるという快楽もあるのだぞ」

 だからそれが怖いのだ。

「俺の本能がやめとけって言ってる」
「そうか」

 シエラは実に愉快そうに笑った。

「安心いたせ。シローをどうこうする気はない。大切な友だからな! それで……」
「それで?」
「辛そうな友のために一肌脱ごうと思うのだがどうする?」

 朝だ! 
元気だ! 
リトルジョー! 
シエラは人差し指でそれを指して赤く長い舌で唇の端を舐めた。

「安心いたせ、あくまでも友としてだ」

 い、いや……そこで身を委ねたら二度と戻ってこられない気がする。

「………………断る」
「ほーほっほっほっ! 残念なことじゃ、私も友として慰めてもらおうと思ったのだがな」

 シエラは笑いながら部屋を出ていった。
思えば昨晩からずっとモンモンしっぱなしだ。
今朝の身繕いはいつもより時間がかかりそうだな……。

 宿泊客の朝食を作りながらフィナンシェやマドレーヌなどの焼き菓子を焼いた。

「甘い匂いがするな。今日のおやつか?」

 匂いを嗅ぎつけたシエラが調理場までやってくる。

「うん、シエラの分もあるけど、これは男の人たちに差し入れ」

 仲間の男娼が殺されて不安になっているだろうし、詳しい話も聞いてみたかったのでプレゼントを持って訪ねてみることにしたのだ。
あまり接点のない人たちだけど、まったく交流がないわけじゃない。
彼らを買った客と一緒にウチの店にご飯を食べに来た人もいたのだ。

「ならば一緒にいこう」
「昼間だし、護衛はワンダーとハリーだけでいいよ」

 同性だけの方が彼らも話しやすいかもしれない、そう考えてシエラの同行は断った。


 娼館は商業区の外れにあった。
男娼たちが起きるのは昼過ぎであると聞いていたので、お昼ご飯を食べてから出かけた。
俺が着いたときは1時を越えていたけど、彼らはちょうど昼ご飯を食べている最中だった。
果物やパン、塩漬け肉と野菜のスープなどで内容は悪くない。

「客もガリガリの男を抱くのはイヤだろうからさ、食事は保証されているのさ」

 一番年長でバーコード禿げのロイドさんが教えてくれた。
相変わらず、メタボ気味の体型に真っ赤なシャツが痛々しい。
三度の食事はきちんとしていてもお菓子が口に入ることは滅多にないそうで、持参した焼き菓子にみんなはキャーキャー言って喜んでいた。

「お客だって甘いものの一つも持ってきてくれりゃ、私たちのサービスもちったぁよくなるっていうのにね」
「ほんとだよ。アイツらときたら自分の股ぐらを舐めさせることしか考えてないのさ」

 焼き菓子を頬張りながら男たちの会話は弾んでいる……。

「それにしても怖い事件でしたね」
「そうなんだよ、ちなみに自分が第一発見者なんだけどね」

 そういったのはクライブさん。
年齢は俺と同じくらいだと思う。
島に来た男娼の中では一番の美形で通っている。
ここではクライブさんとロイドさんが人気の双璧を成しているそうだ。
クライブさんはともかくロイドさんが売れっ子なのは意外だった。
でも、聞いた限りだとロイドさんは笑顔を絶やさず、大抵のリクエストを受け入れ、情も細やかなのだそうだ。
ぶっちゃけてしまうと、顔や体型、年齢は劣るけどサービス内容が濃いらしい。
しかも包み込むような包容力がザラついた冒険者の心を癒しているそうだ。
一方のクライブさんは若くて美形だけど、本番はなしで手と口だけのサービスを提供していると言ってた。

「それじゃあ、クライブさんは死体を見たんですか?」
「ああ! おかげで夢にまで見る始末だよ。死体はトイレの中に転がっていたんだけどね、全身血まみれだった。後で聞いたら何か所もナイフで刺されていたんだって」

 傷跡は複数あり、死んだ後も執拗に刺されたらしい。

「あれは男に恨みのある女の犯行だね。そうに決まってるよ!」

 南国なのに背筋が凍るような思いがする。

「犯人の目星はついたんですか?」
「私たちは何にも聞いてないんだ。おーこわっ!」

 震えるロイドさんの前髪が一房落ちて、広いおでこにペタリとくっついていた。


 表に出てチラリと犯行現場のトイレを見たけど、もう普通に使用されているようだ。
異世界では証拠確保のための黄色い規制線が張られることもない。
血の染みはスライムがあらかた嘗め尽くし、今朝の掃除で綺麗に洗い流されていた。

 男娼たちも外出時は固まって出かけたり、娼館の女衆についてきてもらうなどして対策を立てているみたいだけど、もしも客が犯人だったら防ぎようがないだろう。
さすがにアレの最中に誰かにいてもらうことはできない。
オプションでそういうサービスもあるみたいだけど……。

 稼ぎに余裕のあるクライブさんはしばらく休業すると言っていた。
この人はお金に困ってここに来たのではなく、帝都で客(ナジミ)の夫(貴族)ともめて一時避難的に島にやってきたそうだから懐には余裕がある。
だけど生活に困っている人たちはそうもいかない。
目の前で腰を押し付けてくる客を殺人犯かと疑いながら、体を委ねるしかないのだ。

 遣り切れない気持ちで歩き出すと、商業区のドンであるマダム・ダマスが俺に向かって丁寧に頭を下げていた。

「こんにちはマダム・ダマス」
「ちょうど良いところでお会いできました。今、男将さんを呼びに人を遣ろうとしていたところなんです」

 マダム・ダマスが俺に用とは珍しい。
仕出し料理を頼みたいとかか?

「どうかされましたか?」
「実は特にお願いしたいことがございまして」
「はあ……」
「男将さんにウチの子たちの用心棒をしていただきたいのですよ……」
「……え?」
「ですから用心棒を」

 ヘタレの俺に何を頼むんだろうね。
普通に喧嘩したとしてロイドさんやクライブさんにだって勝てる気がしないのに。

66 あと五分あれば……

 それまでガヤガヤと女四人で喋っていたのに、サバサンドを持って入っていくとみんなは一様に黙りこくってしまった。

「どうしたの?」
「こ奴らが猥談をしていただけだ、気にするな」

 シエラの言葉に納得してしまう。
俺だって学生時代に交わしたようなボーイズトークを女子の前では披露できないもんな。

「わ、私はそんなことはしていない!」

 生真面目なセシリーが席を立ちあがったけど、俺はそれを手で制した。

「わかってるって。とにかく冷める前に食べてしまおうよ」

 ゴクウたちが皿を並べ、冷やしたトロピカルティーをグラスに注いでいった。
パイナップルをベースとして、この島でとれる果物で作ったフルーツティーだ。
とてもいい香りがして飲みやすい。
茶葉はマダム・ダマスの店で購入してきているので、ここではちょっとした高級品でもあった。

 食事中には卑猥な話もでず、みんながお行儀よくサンドイッチを食べていた。

「それで、セシリーは今後どうするつもりなの?」
「もちろんダンジョンで稼ぐつもりだ。ルージュはこう見えて結界魔法の使い手だしな」

 セシリーが攻撃を担当、ルージュが防御を担当するわけか。

「結界魔法だけじゃありません。こう見えて双剣の腕前と胸の大きさには自信があるのです!」

 あーはいはい。
そういえばルージュは腰の両側に70センチくらいの剣を佩(は)いている。

「ふーん、剣も使えるんだ」
「こう見えて攻めるのも得意なのですよぉ」

 言い方が一々いやらしい。
顔つきも一見地味なのに目が爛々とぎらついていた。

「こんな女だが腕前は確かなんだ」

 セシリーが言うのだから相当なものなのだろう。

「二人はどこで知り合ったの?」
「たまたま同じ駅馬車に乗り合わせましてね」

 その馬車が四十人の野盗に襲われたそうだが、たった二人でこれを撃退したそうだ。

「まあ、それがきっかけで意気投合してこの島へ来たというわけです」

 性格は全然違うみたいだけど二人はウマが合ったようだ。

「あの……」

 モクモクとサバサンドをかじっていたミーナが遠慮がちに手を上げていた。

「どうしたの?」
「その……よろしかったら私をセシリーさんたちのチームに加えてもらえませんか?」

 俺からもお願いしてあげたいけど、ここは黙って成り行きを見守るしかない。
ダンジョン内は死と隣り合わせの世界だ。
部外者にどうこう言う資格はなかった。

「ミーナと言ったね、アンタは何ができる?」

 セシリーはいつもの鋭い視線でミーナを眺めた。

「トラップ外しが得意っす。武器は短弓と短槍を使います。魔法は水魔法と風魔法を少し」

 水魔法が使えるのは大きなメリットだ。
攻撃に関してだけではなく、飲料水を減らせるので持ち込む荷物が大幅に軽くなる。

「あと、自分はもう一カ月以上ここのダンジョンに入っているので案内もできるはずです」
「さて、……どうする?」

 セシリーはルージュに意見を求めた。

「とりあえず一緒に潜ってみればいいと思う。それで様子を見ましょうよ」
「うん、そうだな」
「よろしくお願いするっす!」

 こうしてミーナは新しい仲間を見つけられた。

 その夜は仕事が終わってからも体が火照っていて、なんだか眠れなかった。
ようするにムラムラしていたのだ。
そもそもルージュとシエラが××だの××××だの言ったのが悪い。
二人の会話が耳に残って俺の煩悩をいつまでも刺激してくるのだ。

 ルージュに責任を取ってもらいたいところだけど、それをやったらアイツに負けた気がするし、信頼のおけない相手とは一緒に寝ないと啖呵を切ったばかりだ。
数時間もたたずに前言を撤回するのは恥ずかしすぎる。
だからといってセシリーを口説くのもなしだ。
生真面目な彼女のことだから一晩限りの関係なんて思いつきもしないんじゃないかな? 
今度も結婚の二文字が飛び出てきそうで怖い。
残るはシエラだけど、やっぱりシエラとはそういう関係になりたくないんだよな。
なんでだろ? 
それに俺が口説いたとしてもシエラには断られそうな気もする。

 やっぱり自分で慰めるしかないか……。
ここにあるおかずは調査隊の士官たちが残していったエロ小説とクリス様やグラム様と過ごした記憶だけだ。
新鮮味はないけど実用には十分足りる……。

「ワンダーたちは入り口をしっかり見張っていなさい」

 たとえ相手がゴーレムでも見られているとやりにくい。
戸締りを確認してから服を脱いだ。
すでにマイサンは半分臨戦態勢だ。
箪笥の奥に隠した小説から、今夜の友をチョイスした。
今夜は貴族の女当主がメイドの少年に嬲られるお話に決定! 
よし、準備は整った。
今こそあの空へ向かってフライアウェイ! 
ダイブ トゥ ベッドで自主練が始まる。
オ~イエッ! 
……………………。

コンコン

 アテンションプリ~ズとばかりに響く無情のノックに俺は空から連れ戻された。
無様を晒して現実世界に胴体着陸する。

「は、はい?」

 ドアは開かずにそのまま対応した。

「シロー、私だ」

 シエラがどうして? 
まさか一緒にフライアウェイ?

「な、なに?」
「マスター・エルザが来ている。大至急話があるそうだ」
「わかった。着替えるから居間の方で待っていてもらって」

 あと五分あれば……。
ああ幻の打ち上げ花火、賢者になり切れぬまま俺はズボンを履く。
いっそスッキリしてから行こうかと思ったけど、マスター・エルザの顔がちらついてリトルジョーはモアリトルだった。


 居間の長テーブルを挟んでマスター・エルザとシエラは向かい合って座っていた。
どちらの顔色もかなり悪い。
この島で最も強い二人がどうしたというのだ?

「何かありましたか?」

 マスター・エルザは苦虫を噛み潰したような顔で口を開く。

「殺人事件だ」

 ここでは人が死ぬことは珍しいことではない。
毎日のように何人かがダンジョンで命を落としている。
だけど、人間による人間の殺害、それもダンジョン内部ではなく地上においてとなると初めてのことだった。

「男娼二人が殺されている。どちらもついさっき発見された」

 殺害現場は売春宿の外に設置されたトイレの中だったそうだ。

「どうも男ばかりを狙っての犯行のようだ。他の男娼たちには今夜は客を取らないように伝えてあるが、男将にも知らせておこうと思ってやってきた」
「わざわざありがとうございます」
「うん。ここにはゴーレムや用心棒もいるが、気をつけて」

 マスター・エルザを見送りながら背中に冷たい汗が流れた。

「シエラ……」
「どうした?」
「トイレについてきて」

 だって怖いんだもん! 
ワンダーとハリーだけじゃ不安だよ。

「ん、いっしょに行ってやる」

 その夜は結局シエラが一緒に寝てくれることになった。

「私が横にいる故、安心して眠るがよい」

 かえって眠れないんですけど……。
さっきは最後までできなかったし……。

「どうした?」
「なんでもない」

 一生懸命眠ろうとするんだけど、目を閉じればシエラの髪の匂いが鼻から入ってくるし、目を開ければ小さな顔がすぐ目の前にある。
せめてあの時、あと五分あれば……。
眠れないままに「あと五分」の考えが浮かんでは消えていった。

65 サバサンド

 求婚のために膝をついているセシリーの前を、ニョロが三匹通り過ぎて行った。
きっと、畑に水やりをしに行ったな……。
ちょっと間抜けな絵面だ。
微妙な空気が岩屋の前を包んでいた。

「セシリー、気持ちは嬉しいんだけど結婚なんて考えられないよ」
「でも、私にはそれしか……」

 カルチャーギャップなのかな? 
男の幸せは結婚と幸福な家庭にあるというのがこの世界のスタンダードな考え方なのかもしれない。
日本にもそういう人は結構いた。

「俺さあ、結婚願望とかあんまりないんだよね。するにしたって30過ぎてからでいいと思っているし」

 セシリーは驚いたように俺の顔を見上げる。

「わ、私ではシローに釣り合わないかもしれないけど……」

 やっぱり根本的な考え方が違うようだ。

「セシリーのことをどうこう言っているわけじゃないんだよ。セシリーは美人でスタイルもよくて真面目でいい女だと思うよ。結婚したら妻としての役割をきっちりと果たすタイプだとも思う」

 一緒に暮らした期間は短かったけど、治療の際に裸も見ているし、真面目な性格であることも覚えている。
あ、思い出したら少しオッキしてきた……。

「だけどさぁ、他の男の人は知らないけど、俺にとっては結婚がゴールってわけじゃないんだよ。それにレイプされたことによって自分自身の価値が下がったとも思わないし」
「それは……」

 俺のあけすけな態度にセシリーは言葉を飲み込んでしまった。

「セシリーがどう思っているか知らないけど、俺は童貞じゃないよ。セックス大好きだし、それなりに経験もある」

 クリス様やグラム様を相手にする時は7回/ワンナイトがデフォだったもんな……。
いや、4回/ワンモーニングもあったか……。
我ながら爛(ただ)れているなぁ。
魔法抜きでは考えられない数字だぞ。

「……」
「ジャニスのことは腹がたつし、あんな思いは二度としたくないけど、それでも人生に絶望をしているわけじゃない。だから、責任を取って俺を養うなんて考えなくていいんだよ」
「……」

 セシリーは無言のまま唇をかんでいた。

「ということは、シローさんは自由恋愛に生きる人なのですね!?」

 突然、見知らぬ女の子に声をかけられて面食らってしまった。
目がクリクリした子で、おさげにした髪とそばかすが印象的だ。

「誰、君?」
「自分はセシリーの姉さんとこの島へ来たルージュといいます。こう見えて隠れ巨乳です」

 いきなり何のアピールだよ?

「シローです……よろしく」
「その……地味な私ですがフィーリングさえ合えば、シローさんとワンナイトラブが楽しめるということですよね!?」

 確かに顔は地味だけどグイグイくる子だ。
しかも隠れ巨乳……嫌いじゃない。
むしろ好きかも。
ストライクゾーンの広すぎる自分が怖いくらいだぞ。
だけどね、衝動と理性は共存していて、大抵は理性が強かったりするのさ。

「いや、やっぱり愛のないセックスはちょっと……」

 もちろん嘘だけど。
たまには性欲だけに身を任せたい夜もある。(朝も昼もある)

「まあまあ。こう見えて自分は経験豊富ですよ。ずっと近所の未亡人(男)の相手をしていましたからね。魔法なしで男を骨抜きにするのもお手の物です! シローさんも私の手にかかれば……」

 外見にそぐわないビッチぶり! 
嫌いじゃないけど……。
と、こう思ってからふと考えた。
日本では女の人がセックスに奔放だと「ビッチ」だことの「ヤリマン」だことのと非難される。
逆に男の場合は許容される風潮だ。
「ヤリマン」の対義語が「ヤリチン」だったとして、ヤリマンは侮蔑的に扱われるのに対してヤリチンの方はどこか誇らしげに使われることさえある。
これまで特に意識してきたことはないが、これからは俺が差別の対象となるわけだと考え至った。
だったらなおさらキッパリと言っておかなくてはならないな。

「あのさ、確かに俺はスケベで、女の人が大好きだよ。でもね、信頼できる相手としか寝ないんだ。だから君とは無理だよ」

 ルージュは穴のあくほど俺を見つめていた。
それから腕を組んで深く頷く。
隠れ巨乳は嘘じゃないな……、腕を組めば真実は露になる。

「分かりました! シローさんの信頼を勝ち取ればいいのですね!」
「はい?」
「自分はシローさんとのアバンチュールのためにも、誠心誠意を尽くします!」

 アバンチュール(恋の火遊び)のために誠心誠意って、語の矛盾を感じるぞ。

「ふん、貴様風情が兄上の信頼を勝ち取るなど笑止千万」

 シエラが俺とルージュとの間に割って入った。

「むう、人の恋路を邪魔するのはよくありませんよ」
「片腹痛いわ、この色魔(しきま)め。我が魔法で氷漬けにしてくれようか?」
「私は恋の炎に身を焦がしたいだけです。おチビの氷はお呼びじゃないですよ」
「シロー、私の求婚はその……」
「ええい、口の減らない奴め!」
「シローさーん、私ならシローさんの×××に××を×××してあげますよ」
「なんと破廉恥な! 貴様のような奴をお兄様のそばに近づけるわけにはいかん」
「責任を取るというか……私はその……」
「じゃあ、貴方は××に×××ができるんですか?」
「それくらい容易いこと! 私なら××の穴に×××××だってできるわっ!」
「ぐぅ……。やりますね……」

 なんなんだよこのカオス……。
しかも混沌はそれで収まらなかった。
さらにこの場に冒険者のミーナが現れたのだ。
しかも全身ズタボロの姿で。

「シローさん、パーティーが全滅してしまいました!」
「だから責任を取るというのは言葉の綾というか……」
「だから×××の裏から××の方にかけて行ったり来たりを繰り返しましてね」
「所詮は小娘の浅知恵よ。××は××××する方が男は喜ぶ」
「私はインビジブルリングがあったおかげで何とか逃げ出して」

 全員が同時にしゃべっているから何を言っているのか全然わからない。
俺は聖徳太子じゃないんだぞ! と叫びたかったが、叫んだところで誰一人意味を理解しなかっただろう。

「ストーーーップ‼」

 大きな声でみんなを制した。

「まず、セシリー。もう気にしないで。それと、これからもよろしく!」
「うん……」
「次にルージュ。真昼間からセクハラはやめてくれ! ただでさえここは荒くれ物の女が多い。変な誤解を与えて殺到されても困る。お相手が欲しかったら商業区に娼館があるからそちらをあたってくれ」
「自分、プロのお兄さんは苦手です」

 こいつは悪びれるということがないな。

「とにかく君とそういう関係になる気はない。それからシエラ」
「なんじゃ?」
「本当にさっき言ってたこと俺にしてくれるの?」
「ふむ……シローが望むのならそれもよいが……」
「シエラのことは信頼しているけど、なんだかそういう関係にはなりたくない(今は)」
「うむ。私もシローにはお兄様でいて欲しいぞ」

 だったらシエラとはこれでオッケーだ。

「最後にミーナ。なにがあった?」

 ポケーっと俺たちのやり取りを聞いていたミーナだったが、俺の顔を見て用事を思い出したようだ。

「う……ううっ、また、パーティーが全滅しましたぁ。私はパーティー潰しの死神なのでしょうか!?」

 ミーナが組んだ臨時パーティーがまた壊滅したのか。
彼女は一緒に島へやってきた二人の仲間も失っている。

「ミーナが一人悪いわけじゃないさ。ほら、怪我の具合を見せて」
「怪我は治癒士に治してもらいました。おかげでまた財布の中身が1800レーメンになってしまいましたけど……」
「そっか……。でも、ミーナが生きてて本当に良かった! 今からサバサンドを作るんだけどミーナも食べる?」
「うう……いだだきばず」

 ミーナを優しくなでて立たせてあげた。

「セシリーたちも食べていきなよ。すぐに作るからさ」

 人間は飯が食えて動けるうちは何とかなるもんさ。
食えば力も湧いてくる。
俺は手を洗っていつものエプロンを身につけた。

  ♢

「はあ……ありゃセシリーの姉さんがイチコロになるわけだ。天然エロエロ男ですね」

 ルージュの言葉にセシリーは拳骨を食らわせた。

「シローをそんな風に言うな!」
「アテテ……。でもあのエプロン姿がたまらないですよ。ありゃあ一見清楚系のM男ですね。処女キラーですよ」
「そうなんす。シローさんは家庭的に見えてエロイんす。でも優しいエロスっす! 私の初めてはシローさんに捧げたいと決めているっす!」
「小娘が勝手なことをほざくな」
「いや~憧れを持つくらいいいじゃないですか? 年上の男将さんにリードされて処女を捨てるなんて最高のシチュエーションっす!」

 シエラは大きなため息をついたがそれ以上は何も言わなかった。
そして、異世界のガールズトークはサバサンドができ上るまで続けられるのだった。

 念のためにこれだけは特記しておきたい。
シローはモテているわけではない、ヤレそうと思われているだけだ。
少なくともシエラとセシリー以外には。
シロー自身もそのことはよくわかっていたので浮かれてはいなかった。

64 俺は汚れているのか?

 小川の下流で二体一組となったイワオが大きな樽をシェイクしている。
樽の中には洗濯物と水、洗剤が入っていて、これは言ってみればゴーレムを使った洗濯機だ。
15分ほどシェイクした後、汚水はスライムの待ち構える汚水層へ注がれる。
新たな水を足してすすぎを二回もすれば洗濯物は綺麗になっているという寸法だ。

 洗いあがった洗濯物は大きな網に入れられ、イワオたちがこれをブンブンと頭上で振り回す。
そう、脱水だ。
こうして水気を取ったあとはゴクウたちがヤシの木に張った洗濯紐に干していくのだ。

 青空の下で風に揺れる白いシーツというのは見ていて気持ちがいい。
これで午前中の仕事は終わった。
後は夕飯の仕込みを始めるまではのんびりとできる。
宿泊客は全員ダンジョンへと行ってしまい、ここに居るのは俺とシエラだけだ。

 今日は珍しくシエラが洗濯物を干すのを手伝ってくれた。
背は低いんだけど宙に浮くことができるからシーツを干すのにも困らない。
シエラがここに来てから一カ月以上が経っているけど俺はもう宿泊費を貰ってはいなかった。
なんとなく一緒に住んでいる感じかな? 
ずっと「兄上」だの「お兄様」だのと呼ばれていたせいか、いつの間にか俺もその気になってしまったようだ。
中身は42歳とわかっていながら、可愛い妹と一緒に宿屋をやっている気分になっている。
お互いが窮屈じゃなくて、楽しいままに居られる距離感なんだと思う。

 言っておくけど身体の関係はないからな。
まったく欲情しないというと嘘になるけど、今の関係が気に入っているのだと思う。
戯れに一緒にお風呂に入ることもあるんだけど、互いの髪を洗ったり、背中をこすったりしておしまい。裸を見ればマイサンは反応するけど、一線を越えるには至らない。
シエラが俺を眷属にできないことも理由なんだけど、俺自身も強くそれを望んでいるわけじゃない。
使い古された「友達以上恋人未満」という言葉も当てはまらない気がした。
シエラは「本当の兄妹みたいではないか」というけど、本物の兄妹は成人したら一緒にお風呂に入らないだろう?

「兄妹っていうか……やっぱり俺たちの関係って特殊なんじゃないか?」

 そう言ったらシエラは嬉しそうに笑っていた。
どうして嬉しそうにしていたかは俺にも分からない。
聞いても教えてはくれなかった。

「そろそろご飯にしようか。何が食べたい?」
「ん~、サバサンド」

 サバサンドとはグリルした魚の鯖(さば)のサンドイッチだ。
鯖とパンの組み合わせにびっくりする人もいるけど、これが意外に美味い。
トルコの都市イスタンブールの名物料理でもある。
焼いた鯖とレタス、トマト、スライスオニオン、レモンを挟んで食べるととってもジューシーだ。
亜熱帯のこの島で高原野菜のレタスは絶対にとれないので俺しか作ることのできない逸品だぞ。

 先日、シーマが鯖を獲ってきた時に作ったのだがシエラは気に入ったようだ。
材料となる鯖はその時の残りを冷凍して保管してあるので問題ない。

「じゃあ、レタスを作製するからちょっと待っててよ」
「うん。……客がきたぞ」

 シエラが森の小道の方を見つめた。
つられて俺もそちらを振り向く。
緑の森に赤い花が咲いていた……そう見えたのは幻覚だったようだ。
実際のそれは人、赤い髪をした女の人だった。

「セシリー……」

 思わずその人の名前を呟いていた。
懐かしさと生きていたという安堵に胸を押さえてしまった。

「シロー!」

 セシリーも俺の姿を認めてこちらに近づいてくる。
久しぶりの再会だから思いっきりハグしようかな? 
きっとセシリーは真っ赤になって照れてしまうだろう。
そんなことを考えながらセシリーに近寄ろうとしたら、シエラがセシリーに殴りかかっていた。

「シエラ!」

 小柄ながらヴァンパイアの身体能力は人間のそれを上回る。
だけど、セシリーも爆炎の二つ名をもつ剛の者だ。
寸でのところで防御して直撃を避けていた。

「貴様なにを……」

 セシリーの言葉を無視してシエラは下段・上段と攻撃を続け、ついにセシリーの頬をぶん殴ってしまった。

「止めてシエラ! どうしたっていうんだよ?」

 抱きしめてシエラを止めたけど、その時になってシエラの体がピクピクと震えているのが分かった。
しかも普段は冷たいシエラの体が病魔におかされたように熱い。

「お前の……お前のせいでシローは酷い目にあった!」

 その一言でシエラがどうしてこんなことをしたのかが分かった。
シエラは俺がジャニスに犯されたことをセシリーのせいにしているのだ。

「シエラ、それは違う! あれは……」

 ジャニスのことはセシリーに言うつもりはなかった。
そんなことを話せば生真面目なセシリーのことだ、
自責の念で自殺してしまってもおかしくない。

「いったい何を言って……」

 口元から零れる血を拭いながらセシリーは立ち上がった。

「ジャニスのことだ」
「シエラ、止めてくれ!」

 俺は止めたけどもう遅かった。
発せられた言葉は拡散しても、記憶はそれをとどめてしまう。

「ジャニス? どうしてジャニスが……」

 こうなったら俺が説明するしかないだろう。

「ジャニスがこの島にやってきたんだ。ひどい傷を負っていた」

 俺はあの日起こったこと、シエラに助けてもらったことなどを話して聞かせた。

「私の……私のせいでシローは……」

 セシリーは膝から崩れ落ちてしまう。
俺にとってはもう過去の話なのだが、セシリーにとってはショッキングな事実なのだろう。
だけどね、俺はこの世界の男とはちょっとだけ精神の構造が違う。
悔しい思いや殺されてしまいそうになった恐怖は残っているけど、それももう克服した。

「セシリー、俺はもう大丈夫だから」
「だが……アタシは……」

 このままだと本当にどうなるかわからないぞ。

「セシリー、俺を見てよ」

 セシリーはうつむいたまま顔を上げようとしない。
仕方がないので両手でセシリーの顔を優しく掴んでこちらを向かせた。

「ちゃんと見て」

 セシリーは涙で濡れた目で俺を見つめた。

「どう? 俺は汚れている?」

 セシリーはブンブンと大きく首を振った。

「以前と変わってしまった?」

 再びセシリーは大きく首を振った。

「つまりそういうこと。もう大丈夫だ!」

 そう言って微笑みかけたけど、セシリーは小さく首を振った。

「私はシローに償わなくてはならない……」
「だからぁ、悪いのはジャニスであってセシリーじゃないでしょう」
「いや、私がきちんと死体を確認しなかったから……」

 俺は横目でシエラを睨んだ。
もう、余計なことをするから話がこじれてしまったじゃないか。

「シエラもこの話はもうおしまいだぞ」
「だが……」
「いつまでも俺がレイプされた話題で盛り上がりたいのか?」
「そ、そんな!」

 俺はシエラとセシリーを抱き寄せた。

「シエラ、セシリー、俺は本当にもう大丈夫だから。心配してくれてありがとう」

 心配してくれるんなら二人掛かりで慰めて! とは言えない。

 セシリーはずっと動かないまま俯いていたけど、やおら決意の表情と共に顔を上げた。
そして片膝を大地に付き俺の手を取った。

「シロー、私と結婚してくれ」
「……なんで突然?」

 唐突にもほどがあるだろう。

「責任を取りたい。私の一生をかけて君を幸せにする。だから!」

 そうきたか……。

70 追跡は終わり、奴はモンスターになった

 俺たちの乗った小型船はシーマたちに曳航(えいこう)されて島の沖合へでた。 これはもともとセシリーの仇敵であったジャニスの持ち物だ。 とはいえジャニスもどこからか盗んできただけのようだけど……。 とにかく今は俺のものになっていてあちこちに改装を施してある。 船体も「修理」...